吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
散歩していると、いろんな光景を目にする楽しさがあります。街ん中の民家入り口に、黄色いボートが立て掛けてありました。手漕ぎ用の小型グラスファーバーボートです。軒下にちょうど収まっているから、大きさが大体分かります。海のある吉浦だからといって、ボートを家の立てかけてあるのは、吉浦ではここだけだと思いながら、珍しげに佇んで見つめました。(吉浦東本町で)
街なかの白壁を見上げると、なんと赤い獅子と白い牡丹の花のレリーフを見つけました。左官職人さんが、左官コテで立体的に仕上げた漆喰装飾です。近頃では、コテ絵はそこかしこにあるものではなく、希少価値といえます(吉浦東本町)。
家が建てこみ、注意して見上げないと、古い土蔵の赤い獅子と白い花のレリーフにお目にかかれません。
例年からゆけば40日くらいの長い夏休みになるはずですが、令和2年の夏は、コロナ禍で1学期の長期休みが2回あり、その埋め合わせとしての授業が、本来の夏休みに食い込み、実質2週間弱という短い夏休みになりました。でも、こどもたちは、セミとりに行こうか、チョウチョの採集をしようか、と楽しそう(吉浦本町で)。
自転車で町内をぐるりとまわり、お寺の前で休憩。「Go Toトラベル」キャンペーンをお国が打ち出したとて、親御さんは旅行や外出を自粛しているようで、子どもは近くで遊ぶしかないか(吉浦中町で)。
小学生は、夏休みになると、町内の空き地や駐車場、広場などで朝6時半から、NHKのラジオ体操をします。吉浦小学校の校庭では、大人も子どもも一緒になって、朝のおいしい大気をお腹いっぱいに吸い込み、なまった身体をほぐすように、元気一杯にラジオ体操をしている光景を目にしました。
骨組みだけになっている障子の建具が、道路にズラリと並べてありました。古い障子を剥がし乾かしているのがわかります。もうすぐ真新しい障子紙が貼られることになるようです。焼山吉浦線の県道278号線沿いで、見かけた光景です(吉浦本町で)。
軽自動車には、10数枚の真新しい畳が積み込んでありました。出来上がった畳を、依頼主のお家に運ぶのでしょうね。数えてみたら、14枚。イグサのあの独特な香りが漂いました。
道路わきの畳屋さんの看板が、二階の壁に「シタサキ」とカタカナで掲げてありました。お盆前後や年末にかけて、障子の貼り替えが多くなると聞きました。
ガラス戸には、網戸、ふすま、障子、畳の黒や赤いたて文字が貼ってあり、親しみのわく佇まいを感じました。
日本の人口は、2025年2月時点で、1億2,354万人、15才未満の人口は1385万人と新聞に出ていました。人口は々々減少してるそうですねえ。子どもは家の宝であり、町の宝、国の宝です。子どもをみると、つくづくそう思います。
そんなチャンスが目に入りました。左が大心寺保育園。道路へだてたところに、保育園の広場があるのです。園児たちは、広場で楽しく遊び、園に向かうところです。車の往来がある道路ですから、道を渡るのは、注意しなくてなりません。先生の合図とリードで、園児たちは、手を上げて渡るところです。ん?手を上げていない子もいるぞ。ま、少しずつ安全教育を徹底していくということですね。
「ほら、見てごらん。お魚がいるでしょ」「せんせい、どこ、どこ?」「あっ、いた!!」。吉浦のみのり幼稚園の園児たちが、「中通り橋」ちかくの大川を覗いています。
吉浦小学校のそばを流れる大川の下流にあるのが、中通り橋。橋の両側に、漢字と平仮名の銘板が、それぞれとりつけてあります。左の路地を川沿いに進むと、吉浦小学校へたどり着きます。いま、ここらあたりの大川では、何やら工事がはじまっており、梯子が川にかかっていました。
この位置からだと、左側が吉浦中町、橋を渡った右側が吉浦東本町ってことになります。町名の表示板のずっと高い瓦の上に、大黒様が通る人を、じっと見守っているように感じました。
橋の下を流れる川は、「おおかわ」。川の銘板が橋に取り付けてあります。
川におっこちないように、白い鉄製パイプの柵が施してあり、橋にも縦のパイプが何本もありました。児童やお年寄りの安全に配慮されていることが、伝わってきますよね。
広島と呉を結ぶ有料道路のクレアラインが、吉浦東本町の山手では高架になっています。その近くには、チビッ子広場があり、道路は三差路になっています。右に行けば、天応、海田方面。手前こちら側を行けば鍋土峠、焼山方面。左手に向かえば、吉浦の街なか方面です。道はいつもきれい。な~ぜか?
答えは、「この道はわたし達がきれいにしています 里山クリーンの会」と、白と緑のツートンカラー立て看板に記してあります。つまりは、ここから鍋土峠に向かう焼山吉浦線の道路がきれいなのは、ボランティアのおかげなんですね。ポイ捨て禁止や、ゴミを捨てないで、というチラシ看板も、道の所々に立ててあり、美化運動の呼びかけが聞こえてくるようです。
吉浦港の先に浮かぶ島がふたつあります。一つは、大麗女島(おおうるめしま)。海上自衛隊の管轄下にあり、上陸はできません。吉浦湾に4本のクレーンを装備した巨大貨物船が入ってくる珍しい光景を目にすることができました。
もう一つは、小麗女島(こうるめしま)。島の中央にローソク型の高さ11メートルの白い灯台が建っています。手前のオレンジ色の屋根はJR吉浦駅。小麗女島の手前を漁船が走り、島の向こう側には、江田島の小用港と呉港を結ぶフェリー連絡船が見え、潜水艦が浮上航行していました。これも得難い光景でした。
クレアライン沿いの吉浦天応を結ぶ市道・汐見橋6号線から、おだやかな吉浦湾を望む。左が大麗女島、右が小麗女島。
JR呉線の吉浦駅に到着した電車「レッドウィング」。呉線は単線のため、駅で離合します。吉浦駅の上り線と下り線のプラットホームに到着した「レッドウィング」は、車体の長さは約20m、車体の幅は約3m。通勤、通学、商用、旅行、買い物、カープ観戦など、「レッドウィング」は便利な“足“。
窓口営業時間は、窓口のそばにリングで束ねてあり、「窓口営業時間」を一枚もらいました。
これまでに、色んなラッピング電車を吉浦駅で見かけました。この電車はNHK連続テレビ小説「マッサン」を紹介したラッピング電車。現在は、呉線を走るラッピング電車は、カープ電車だけです。
広島駅から三原駅まで呉線を走った観光列車「瀬戸内マリーンビュー」。もう運行はしていません。今秋10月からは、新観光列車「etSETOra(エトセトラ)」が、呉線の広島駅から尾道駅間の往路を2両編成で運行開始するそうな。楽しみ。
呉市吉浦の北限の食品店といえば、焼山と吉浦を結ぶ県道278号線沿いにあるこの「さなだストアー」。酷暑の夏でも、極限の冬でも、さなだストアーは、ドアとかカーテンなどはしません。室内をエアコンで冷暖房をするものの、外気温とほぼ同じような感じ。いつもあけっぴろげだからこそ、入りやすいともいえます。奥で扱っている魚に魅力があり、揚げたての天ぷらもいい。駐車場もあって便利な食品店だから、よく利用します(吉浦本町で)。
JR吉浦駅前から一直線に山の手までのびるほぼ真ん中あたりにさなだストアーがあります。この店を通り過ぎれば、もう食品店はありません。外のガラスには、みのり幼稚園の秋の運動会や介護施設パーチェの催しなどのチラシが貼ってあり、地域と絆の深い結びつきのある店だと感じます。
広電バス停「吉浦駅」でみた街中の略図。上の方が、広島呉道路。下の方が、JR呉線や海。さなだストアが北限の食品店であることがわかります。
壁掛け支持具のブラケットについている屋外装飾の時計を、散歩中の吉浦の街なかで見かけた時、なんていいデザインだろうと思いました。壁に取り付けられている「プリムローズロンドン」の時計と温度計です。吉浦小学校近くの民家の壁に取りつけてありました。
馬のいななきが聞こえてくるような感じがしました。鋳物のベルに吊り下がる鎖の面白さ。時計の文字盤は古風さ漂うローマ数字。時計を楽しみながら通り過ぎました。
振り返って見つめると、な、なんと摂氏と華氏で表示された温度計になっているではありませんか。アンティーク調のブラケット、馬、ベル、鎖、メタルケースを見上げていると、心豊かになりました。
吉浦小学校の正門は目の前。そして、夏休みも、もうすぐ。とはいえ、学びの遅れを取り戻すため、1月期の終業式は8月7日。新型コロナウイルスの感染防止のために、令和2年(2020年)は2度の長期休校があったし、プール利用はお預けになったままだし、さらに梅雨豪雨で複数回の休校があったから、本来ならば夏休みという時期に、ランドセルを背に学びの遅れをとりもどすために元気を出し、勇気を出し、登校する児童。
能登半島の千枚田などには到底およばないけれど、鍋土峠で見た呉市吉浦の棚田。8段くらいあります。草取りや、田の手入れをしていました。
青々と稲が育つ棚田は、焼山吉浦線(県道278号線)の道路沿いにあります。農家の手によって、手間ひまかけて育てている青田の稲。
焼山と吉浦を結ぶ県道278号線の山あいには、2,3カ所で田圃をみることができます。道の下の田んぼでも、天にむかって延びていました。
道の上にポツンとある田んぼも、稲は育ちのまっさかり。都会の喧騒を離れて、山歩きをすると、小さな田園風景に憩います。
童謡「かかし」を歌ったり、聞いたことがありますよね。「山田の中の一本足の案山子(かかし) 天気のよいのに 蓑笠着けて 朝から晩まで ただ立ちどおし 歩けないのか 山田の案山子(かかし)」
鍋土峠の棚田で、かかしに会いました。分かりますかあ、真ん中あたりに、立っているでしょ。
急こう配の石段をおりていると、塀ぎわにオヤッと思うような珍らしい石塔が、目に入りました。色つき飾り小石をちりばめたかなり高さのある石塔です。小石の色は、白、茶、うす青…。さほど種類は多くありません。エキゾチックな感じに、思わず足を止めて見入りました(吉浦宮花町)。
カラーストーンの美しさ。運気があがったり、願いがかなえられるというような神秘さがただよっていると感じました。石でできた伝統的な三重の石塔や、五重の石塔、多重塔は見ることがあっても、このような色つき小石をちりばめた飾り石塔に出合えるのが、散歩の醍醐味ですよね。
白い縦帆をはためかせて、波おだやかな海面をすべるように、なめらかに動くのは、海のスポーツを楽しむ5艇の帆走ヨット。ローソクのような灯台のある小麗女島と吉浦の間を、セーリングのヨットがさわやかに浮かんでいました。むこうの山並みは、江田島。
呉市吉浦の貯油所で地域交流会があり、参加し見学させていただくと、歴史あるディーゼル機関車とトロッコが、海上自衛艦と同じグレー色で展示されていました。もともとこの頑丈な機関車は、江田島切串の呉弾薬整備補給所で使用されていた自衛隊唯一のディーゼル機関車7tということだそうです。つまりは、白い大きな二つのライトの間の網目には、赤色丸型で「HK」と記したロゴマークがあり、埼玉県の堀川工機株式会社が製造したことが分かります。この機関車は、平成4年3月に製造し、同年の4月に配備されましたが、老朽化のため引退し、吉浦のここに記念展示することになったということでした。(吉浦町乙廻で)
後 方からみたトロッコ2両をけん引する機関車には、「貯油所」と記してあります。この貯油所に展示される以前は、江田島の弾薬庫専用線で平成22年頃まで使われていた呉弾薬整備補給所の略称「弾補所」という部隊標記であったことを、係りの人から聞きました。車両重量7トンの直噴式ディーゼル機関車なんですね。展示線のレールは、江田島弾薬庫から外してきたということで、なにせ年代ものの海自遺産といえます。
陽を浴びて、のぼりが、気持ちよくはためいていました。よく見ると、錨マークとカキをデザインにした「呉産かきは日本一」の二種類ののぼり。カキは、今が旬なんですよね。吉浦町池田の沖合や、倉橋島の音戸などでカキ筏をみることができます。カキは、スーパーの魚コーナーで見かけますし、全国発送しているお店もあります。こののぼりは、吉浦漁港に架かる西浜橋で、パタパタとはためいていました。
「知っていましたか 掃除をする事で 心の中まで きれいになることを。知っていましたか ゴミを捨てる事で 心の中まで よごれていくことを」と。ガードレールの橋の欄干にある美化意識を高める吉浦漁業協同組合の詩です。近頃は、プラゴミが国際的な規模で問題視されてますよね。ポイ捨てから海洋投棄…。考えさせられる詩ですね。
「にしはまばし」という銘板が、ガードレールの欄干の端に貼りつけてありました。
吉浦東本町すじでの食品店は、この「shopむらかみ」だけ。店頭には、新鮮な野菜や果物が目につくから、つい立ち止まって見つめ、やっぱり買おうって気になります。今日も散歩がてら足が向きます。
じゃがいも、玉ねぎ、キャベツ、トマト、ナス、ミカン、切り花などが、店頭でザルや小箱に入れて整然と並べてあります。黄色の紙に野菜の名前と値段が書いてあります。車で通り過ぎる人でも、徐行すれば何が並んでいるかが分かることでしょう。値段がひときわ大きく赤い字で書いてあるから、数字が目に飛び込んできます。
もちろん店内では、いろいろな食品を扱っています。ともかく軒下にずらりと野菜や果物を並べて、あきないをしているめずらしい店は、吉浦の街ではここしかありません。その店が古くからの「shopむらかみ」です。