吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
呉市吉浦の貯油所で地域交流会があり、参加し見学させていただくと、歴史あるディーゼル機関車とトロッコが、海上自衛艦と同じグレー色で展示されていました。もともとこの頑丈な機関車は、江田島切串の呉弾薬整備補給所で使用されていた自衛隊唯一のディーゼル機関車7tということだそうです。つまりは、白い大きな二つのライトの間の網目には、赤色丸型で「HK」と記したロゴマークがあり、埼玉県の堀川工機株式会社が製造したことが分かります。この機関車は、平成4年3月に製造し、同年の4月に配備されましたが、老朽化のため引退し、吉浦のここに記念展示することになったということでした。(吉浦町乙廻で)
後 方からみたトロッコ2両をけん引する機関車には、「貯油所」と記してあります。この貯油所に展示される以前は、江田島の弾薬庫専用線で平成22年頃まで使われていた呉弾薬整備補給所の略称「弾補所」という部隊標記であったことを、係りの人から聞きました。車両重量7トンの直噴式ディーゼル機関車なんですね。展示線のレールは、江田島弾薬庫から外してきたということで、なにせ年代ものの海自遺産といえます。
1. 海自鉄道