吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
「ほら、見てごらん。お魚がいるでしょ」「せんせい、どこ、どこ?」「あっ、いた!!」。吉浦のみのり幼稚園の園児たちが、「中通り橋」ちかくの大川を覗いています。
吉浦小学校のそばを流れる大川の下流にあるのが、中通り橋。橋の両側に、漢字と平仮名の銘板が、それぞれとりつけてあります。左の路地を川沿いに進むと、吉浦小学校へたどり着きます。いま、ここらあたりの大川では、何やら工事がはじまっており、梯子が川にかかっていました。
この位置からだと、左側が吉浦中町、橋を渡った右側が吉浦東本町ってことになります。町名の表示板のずっと高い瓦の上に、大黒様が通る人を、じっと見守っているように感じました。
橋の下を流れる川は、「おおかわ」。川の銘板が橋に取り付けてあります。
川におっこちないように、白い鉄製パイプの柵が施してあり、橋にも縦のパイプが何本もありました。児童やお年寄りの安全に配慮されていることが、伝わってきますよね。
1. 中通り橋