吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
わが街吉浦は、基地の町でもあります。呉市吉浦町乙廻の海上自衛隊・呉造修補給所貯油所に、ゆったりと勇姿をあらわし、第2桟橋に接岸したのは、護衛艦「さみだれ106」です。船首には判読できないほど薄い数字で106と記してありました。
アメリカやオーストラリアなど多くの国々と共同訓練をしたり、オマーン沖・アデン湾など外洋航行をするなど、国内外で平和と防衛などに励んできた勇壮な行動が伝わってきます。全長151メートル、幅17.4メートルの巨艦です。
巨大な船の要塞「かが184」が、ヘリコプター二機を搭載して、吉浦湾に入港しました。夕日に輝いていました。燃料補給なんでしょう。艦の回りには、オレンジ色のオイルフェンスが取り巻かれ、オイル洩れしないように配慮されていました。
大きな「かが」の船体は、長さが248メートル、船幅は38メートル。
ふだんは、滅多に「かが」を吉浦湾で見ることはできないだけに、幸運ないい機会に巡り会えました。
国内の製油所から各地に点在する海上自衛隊基地までの燃料輸送を担う海自最大の支援船「油槽船YOT-02」が、呉市吉浦の貯油所に接岸しました。全長約105メートル、全幅16メートル、深さ8.8メートル。いま国内では、同じ型が2隻あるそうです。
(呉市吉浦町字乙廻で)
呉市吉浦の海自燃料基地に、潜水艦救難艦「ちはや」403が入港しました。巨艦です。全長128メートル、幅20メートルあるそうな。視界が少しわるい梅雨のさなか、オレンジ色のオイルフェンスを張り巡らし、燃料を補給していました。(吉浦町乙廻)
呉市吉浦の海自呉造修でもらったタオル
潜航深度2,000メートルの能力をもつ無人潜水装置も搭載しているんですね。2023年4月6日に長崎沖で発生した陸上自衛隊第8飛行隊のヘリコプター墜落事故では、その捜索活動に従事したということだそうな。頼もしいですね。
左の「あさぎり151」は、全長137メートル。右の「しまかぜ3521」は、全長150メートル。まるで仲の良いおしどり夫婦のようにみえますね。
吉浦湾は漁港でもあるから、漁船もひっきりなしに出入りしています。海上自衛隊の艦船が入港していても、漁師さんたちは元気に働いています。活気を感じます。
吉浦にはいろいろな護衛艦が入港します。なかでも輸送艦の「4002しもきた」の勇姿にはほれぼれします。
吉浦にある海上自衛隊呉造修補給所貯油所を訪ねたとき、施設を理解するためのカタログをもらったことがありました。これがカタログの表紙。カタログによると、海上自衛隊の施設ではあるけれど、陸上、海上および航空自衛隊の燃料保管施設として陸海空の自衛官、事務官、技官が勤務し、多様な燃料、および油脂類の補給業務を実施していると紹介。
貯油所の第一、第二桟橋、オイル処理などおもな施設や、ドラム洗浄工場、オイルフェンスなど器材の紹介もありました。
補給所貯油所開所60周年に、記念の日本手ぬぐいをもらいました。
海上自衛隊の運貨船(YL17)が、吉浦の海上自衛隊呉造修補給所貯油所の第二桟橋で、燃料の入った空色のドラム缶を巨大アームで積載している珍しい光景を目にしました。二缶一緒に吊り下げていました。
運貨船YL17は、全長27メートル。クレーンも備えているコンパクトな海上自衛隊の小型船。
第一桟橋には、民間巨大タンカー「旭竜丸」が、貯油活動をしていました。貯油基地には、地上と地下に燃料タンクがあり、敷地なに空色の燃料ドラム缶や茶紺色ふうな燃料ドラム缶を観ることができました。
貯油には、色んな民間オイルタンカーが接岸貯油しにきますが、全長104.47m、GT(総トン数)3,90トンの大きな旭竜丸を見ていると、勇壮な感じがしました。
吉浦の山には、桜と梅の花が同時に咲いている風景を楽しめました。
全長143m、全幅18mの海自練習艦「かしま3508」が、吉浦湾の海上自衛隊呉造修補給所貯油所の第一桟橋に接岸しました。ヘリコプター訓練甲板がある「かしま」の勇壮な姿に、しばしみとれました。向こうの山並みは、江田島。
給油中は、万一のオイル漏れにそなえ、オレンジ色のオイルフェンスが、「かしま」のまわりに張り巡らされました。
練習艦「かしま3508」は、アメリカ(真珠湾、サンディエゴ、ニューポート、フォートローダデール、アンカレッジ)、メキシコ(チアパス、マンサニージョ)、キューバ(ハバナ)、チリ(バルパライソ)、エクアドル(グアヤキル)、カナダ(バンクーバー)、ロシア連邦(ウラジオストク)、韓国(ピョンテク)に寄港したり、マゼラン海峡や北極海航行するなど、国内外の活動を、ほこらしく感じます。
呉市吉浦町の海上自衛隊呉造修補給所貯油所の第一桟橋に、給油のため接岸した護衛艦「いなづま105」。
護衛艦「いなづま105」は、長さ151m、幅17.4mの巨艦。基準排水量は4,550トン。タグボート・曳き船2隻が接岸作業にあたる。
この護衛艦「いなづま105」は、インド洋、ソマリア沖・アデン湾、スマトラ島西方海域、南シナ海などに出向派遣されたこともあり、インド、インドネシア共和国、シンガポール共和国、スリランカ民主社会主義共和国、フィリピン共和国へも訪問。呉市内で断水が発生したことを受け、艦内の入浴施設を被災者に開放したこともあり、今後も継続した活動が期待される。
吉浦の海上自衛隊呉造修補給所貯油所の正門に、お正月・新春を寿ぐ門松が二基ありました。こんなに大きく、立派な門松は、吉浦ではここだけしか見ることができません。「春立つやにほんのめでたき門の松」とは、関白豊臣秀次に仕えた徳元という人が詠んだ句。にほんとは、二本の門松であり日本独特の門松をさしているようです。そういうめでたい門松であることを実感しながら、見つめました。
長さ141m、幅22m、基準排水量5700トンの掃海母艦「ぶんご464」が、吉浦湾の海上自衛隊呉造修補給所貯油所第一桟橋に接岸し、長い時間をかけて燃料補給をしていました。
秋雨がそぼつなか、全長151mの護衛艦「さざなみ113」が、補給のために、吉浦湾の海上自衛隊呉造修補給所貯油所に接岸しました。「さざなみ」の接岸や離岸には、海上自衛隊の260トン型タグボート「YT97」と、「YT08」の二隻が巨体艦の世話ぶりを発揮していました。
インド・チェンナイやソマリア沖・アデン湾、ベトナム・カムラン湾、ソロモン諸島ホニアラ港、中国・湛江、オーストラリア連邦ダ―ウイン周辺、アメリカ・グアムなどに派遣されたことがある巨大艦船「さざなみ113」の雄姿を感嘆しながら、見入りました。
秋の陽にキラキラ輝く洋上を、ゆっくり航行し、吉浦湾の海上自衛隊呉造修補給所貯油所に、「掃海艇「つのしま693」が、第一桟橋に接岸しました。オレンジ色のフェンスを張り巡らし、補給作業がはじまりました。艇名は角島に由来しているということです。この補給基地に艦船がくると、吉浦漁港などに、船のマニアで賑います。
掃海艇だから、本来の任務は機雷の処分をすることにありますが、災害救援にも活躍します。「つのしま683」は、東日本大震災には、横須賀から緊急出向し、気仙沼沖での遺体収容、宮城県沿岸部の行方不明者集中捜索にも参加しました。
海上自衛隊の練習艦「はたかぜ3520」が、秋雨ふる吉浦湾に入港し、海上自衛隊呉造修補給所貯油所の第一桟橋に接岸しました。艦名の「はたかぜ」は、旗にあたってはためかせる風に由来しているそうな。ロービジ塗装、全長150m、基準排水量4600トン。護衛艦や練習艦が接岸すると、吉浦の街は、なんだか活気にあふれてくるような気がして、愉しくなります。
タグボートで吉浦の海自第一桟橋に接岸する練習艦「はたかぜ」
燃料を満載して吉浦湾の入港するタンカーは、巨大船から中型船までさまざまな船があります。このたびは、白油船の第五大啓丸が吉浦湾の海上自衛隊呉造修補給所貯油所の第一桟橋に接岸しました。積載している燃料を陸揚げする作業がはじまりました。
オイルフェンスをめぐらし貯油作業するオレンジ色のタンカー第五大啓丸は、748総トン数(GT),1995戴貨重量トン(DW)。燃料の荷揚げに数時間かかりましたね。船が出入りすると、吉浦の街はがぜん活気をあびます。
呉市吉浦の貯油所で地域交流会があり、参加し見学させていただくと、歴史あるディーゼル機関車とトロッコが、海上自衛艦と同じグレー色で展示されていました。もともとこの頑丈な機関車は、江田島切串の呉弾薬整備補給所で使用されていた自衛隊唯一のディーゼル機関車7tということだそうです。つまりは、白い大きな二つのライトの間の網目には、赤色丸型で「HK」と記したロゴマークがあり、埼玉県の堀川工機株式会社が製造したことが分かります。この機関車は、平成4年3月に製造し、同年の4月に配備されましたが、老朽化のため引退し、吉浦のここに記念展示することになったということでした。(吉浦町乙廻で)
後 方からみたトロッコ2両をけん引する機関車には、「貯油所」と記してあります。この貯油所に展示される以前は、江田島の弾薬庫専用線で平成22年頃まで使われていた呉弾薬整備補給所の略称「弾補所」という部隊標記であったことを、係りの人から聞きました。車両重量7トンの直噴式ディーゼル機関車なんですね。展示線のレールは、江田島弾薬庫から外してきたということで、なにせ年代ものの海自遺産といえます。
新型コロナウイルスの感染拡大で騒然となった令和2年。補給艦「とわだ422」が、6月16日に、吉浦乙廻りの海上自衛隊呉造修補給所貯油所の第一桟橋に接岸しました。「とわだ」は、全長167.0m、幅22.0m、深さ15.9m、喫水8.1m。基準排水量8.100トンという雄姿です。向いの陸地は、江田島。
令和2年としては、初の接岸じゃないでしょうか。いい時に出会えたので、なんか得したようで、誇らしく感じました。テロ対策特別措置法と新テロ特措法に基づいて、インド洋給油活動に7回参加しているということです。
オレンジ色のオイルフェンスで囲い、ローディング・アームで燃料の補給作業をおこないました。どっしりとした、なめらかな船体は見飽きることがありません。こういう巨体船が、吉浦の街にやってくると、街が活気づくような感じがしました。
海上自衛隊呉造修補給所貯油所の基地は、右側のこんもりとした山の向こう側まで広がっています。これからは、第一桟橋に、いろんな護衛艦が接岸し補給するだろうと思うと楽しみです。
呉市吉浦にある海上自衛隊呉造修補給所貯油所には、シェパードの警備犬がいます。それも一頭ではなく、18頭。地域交流会で見に行ったことがあります。「坐れ」「行け」「噛め」「探せ」・・・人間の命令を忠実に守る訓練がなされていることが分かりました。
民間の女性が飛び入りで、訓練犬を扱う体験をしました。「かぶれっ」と言ったら、たけりくるって噛みつきました。その時の唸り声と、獰猛な顔、こわかったあ。
貯油所にいる18頭の国際救助犬のパネル。那智号とか、さくら号、ビーナス号など、名前のあとには、「号」がついてました。
熊本地震災害や、広島土砂災害、東日本大災害などに、国際救助犬として、災害派遣活動をする様子が、パネルでよくわかりました。
見学する民間人に、警備犬の役割や救助活動などが、説明でよくわかりました。
呉市吉浦乙廻というところには、海上自衛隊基地のひとつ呉造修補給所貯油所があります。その貯油所では、開放デーとか地域交流会(餅つき)など、親しみのある催しが時折あります。その時には、施設を見学できることもあります。感慨を深くするのが、古い建物の半地下にある「貯油所史料室」。入り口には、第8ポンプ室を整備して史料室にした年季を感じさせる看板が掲げられています。いまでも、この貯油所史料室は、現存しています。
時代とともに取り替えた板づくりや金属加工の正門看板が、史料室の半地下部屋の赤レンガの壁に展示されています。歴史の推移を感じないではおれません。
ず~っと昔に使っていた機械も展示してあります。台風による大津波で海水が浸水し、使用不能になった送油機のピストンなども、たいせつに保管展示してありました。
「海軍水道 消火栓」としるしてある蓋。
4年前までは、護衛艦や補給艦、潜水艦など、海上自衛隊の艦船が、吉浦の補給所貯油所に寄港し、給油していました。この護衛艦は、訓練支援艦「天竜4203」。