吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
吉浦中学生は、のんびりしていません。青色信号になったら、もう走っちゃうんです。みなぎる若さを感じます(JR吉浦駅前で)
下校中の吉浦中学生
アーケードの吉浦本町商店街を通って帰る中学生
令和5年8月5日の土曜日、吉浦ふれあい盆踊りが、四年ぶりに催されました。なにせ新型コロナ禍さわぎで、静まりかえっていた吉浦の街でしたが、浴衣姿の賑やかさが復活しました(吉浦中町で)
子供らも盆踊りの輪に入って楽しみました
呉市の新原市長(左から二人目)と藤本市議(左から3人目)もかけつけました。太鼓の音が、盆踊りをもりあげました
吉浦本町のアーケードの通りでは、かき氷や綿菓子だの、ヨーヨー釣りだの、ポップコーンコーナーなどで賑わいました。右の画像は、自治会の掲示板に貼り出された盆踊りのチラシ
吉浦の山あいを走る乗り合いタクシー「あじさい号」が、吉浦集会所の停留所に、トコトコとやってきました。大人ひとり170円。子ども90円。月曜日から土曜日は、一日12回の運行で、日祝日は一日5回走ります。JR吉浦駅から山の手にまっすぐのびる県道278号を、のんびり走り、町民の足代わりとして愛されています。(吉浦本町で)
6月のこの時期になると、吉浦と天応を結ぶ市道の道なりに、色とりどりにさまざまな種類が咲くあじさいを楽しむことができます。「あじさい号」は、このツートンカラーのマイクロバスのほかに、もう一台黄色のバスが走ります。(落走停留所付近で)
JR吉浦駅前に掲げてある「あじさい号」の運行時刻表。右の画像は、道ばたにある吉浦上城町のバス停留所。
吉浦の山の手の岩神町を散策していると、みごとな紅梅が咲き誇っていました。馥郁たる梅花をみつめていると、なぜかほのぼのと心が満たされてきました。
吉浦本町の細い路地が開けたところに紅梅と白梅が咲いていました。梅見頃の散策ってのは、ほんと気持ちいいですね。
吉浦東本町の山の手にも、白梅をみることができました。吉浦の家並みの向こうに瀬戸内海が見え、さらに江田島の山並みが茫洋とみえました。
吉浦小学校で学習発表会がありました。今年の発表会は、新型コロナ感染拡大防止のため、学年単位で日程をくみ、参観も入場前に検温があり、人数制限が行われ、密集、密接、密閉に配慮する措置が講じられました。児童も参観者も、先生も、み~んなマスク着用しました。
会場の体育館には、明るく元気な合唱が響き、キビキビとした寸劇や声をそろえて朗誦するシュプレヒコールをしていました。
吉浦小学校の体育館で、学習発表を参観する保護者
広島呉道路=クレアライン=の少し上がった山ぎわから見渡した吉浦の街並みと吉浦湾。その先の瀬戸内海は波おだやか。倉橋島や能美島、江田島がくっきり。コロナ禍をわすれさせてくれる安らぎの光景です。
茶臼山のふもとのクレアライン。車の走る風景を、鉢巻山のすそ野からながめました。右側の鉄塔は、中国電力吉浦変電所。無風状態でしたから、大型の車が通ると、道路の継ぎ目の鳴る音が、ここちよく聞こえました。右上の山は、茶臼山。
吉浦の山手は、クレアラインが高架になって通っいるところがあります。吉浦中町のちびっこ広場あたりでは、5本の橋げた。その下を汐見橋6号線の市道が立体交差をしています。
街なかの白壁を見上げると、なんと赤い獅子と白い牡丹の花のレリーフを見つけました。左官職人さんが、左官コテで立体的に仕上げた漆喰装飾です。近頃では、コテ絵はそこかしこにあるものではなく、希少価値といえます(吉浦東本町)。
家が建てこみ、注意して見上げないと、古い土蔵の赤い獅子と白い花のレリーフにお目にかかれません。
例年からゆけば40日くらいの長い夏休みになるはずですが、令和2年の夏は、コロナ禍で1学期の長期休みが2回あり、その埋め合わせとしての授業が、本来の夏休みに食い込み、実質2週間弱という短い夏休みになりました。でも、こどもたちは、セミとりに行こうか、チョウチョの採集をしようか、と楽しそう(吉浦本町で)。
自転車で町内をぐるりとまわり、お寺の前で休憩。「Go Toトラベル」キャンペーンをお国が打ち出したとて、親御さんは旅行や外出を自粛しているようで、子どもは近くで遊ぶしかないか(吉浦中町で)。
小学生は、夏休みになると、町内の空き地や駐車場、広場などで朝6時半から、NHKのラジオ体操をします。吉浦小学校の校庭では、大人も子どもも一緒になって、朝のおいしい大気をお腹いっぱいに吸い込み、なまった身体をほぐすように、元気一杯にラジオ体操をしている光景を目にしました。
日本の人口は、2025年2月時点で、1億2,354万人、15才未満の人口は1385万人と新聞に出ていました。人口は々々減少してるそうですねえ。子どもは家の宝であり、町の宝、国の宝です。子どもをみると、つくづくそう思います。
そんなチャンスが目に入りました。左が大心寺保育園。道路へだてたところに、保育園の広場があるのです。園児たちは、広場で楽しく遊び、園に向かうところです。車の往来がある道路ですから、道を渡るのは、注意しなくてなりません。先生の合図とリードで、園児たちは、手を上げて渡るところです。ん?手を上げていない子もいるぞ。ま、少しずつ安全教育を徹底していくということですね。
壁掛け支持具のブラケットについている屋外装飾の時計を、散歩中の吉浦の街なかで見かけた時、なんていいデザインだろうと思いました。壁に取り付けられている「プリムローズロンドン」の時計と温度計です。吉浦小学校近くの民家の壁に取りつけてありました。
馬のいななきが聞こえてくるような感じがしました。鋳物のベルに吊り下がる鎖の面白さ。時計の文字盤は古風さ漂うローマ数字。時計を楽しみながら通り過ぎました。
振り返って見つめると、な、なんと摂氏と華氏で表示された温度計になっているではありませんか。アンティーク調のブラケット、馬、ベル、鎖、メタルケースを見上げていると、心豊かになりました。
吉浦小学校の正門は目の前。そして、夏休みも、もうすぐ。とはいえ、学びの遅れを取り戻すため、1月期の終業式は8月7日。新型コロナウイルスの感染防止のために、令和2年(2020年)は2度の長期休校があったし、プール利用はお預けになったままだし、さらに梅雨豪雨で複数回の休校があったから、本来ならば夏休みという時期に、ランドセルを背に学びの遅れをとりもどすために元気を出し、勇気を出し、登校する児童。
能登半島の千枚田などには到底およばないけれど、鍋土峠で見た呉市吉浦の棚田。8段くらいあります。草取りや、田の手入れをしていました。
青々と稲が育つ棚田は、焼山吉浦線(県道278号線)の道路沿いにあります。農家の手によって、手間ひまかけて育てている青田の稲。
焼山と吉浦を結ぶ県道278号線の山あいには、2,3カ所で田圃をみることができます。道の下の田んぼでも、天にむかって延びていました。
道の上にポツンとある田んぼも、稲は育ちのまっさかり。都会の喧騒を離れて、山歩きをすると、小さな田園風景に憩います。
童謡「かかし」を歌ったり、聞いたことがありますよね。「山田の中の一本足の案山子(かかし) 天気のよいのに 蓑笠着けて 朝から晩まで ただ立ちどおし 歩けないのか 山田の案山子(かかし)」
鍋土峠の棚田で、かかしに会いました。分かりますかあ、真ん中あたりに、立っているでしょ。
急こう配の石段をおりていると、塀ぎわにオヤッと思うような珍らしい石塔が、目に入りました。色つき飾り小石をちりばめたかなり高さのある石塔です。小石の色は、白、茶、うす青…。さほど種類は多くありません。エキゾチックな感じに、思わず足を止めて見入りました(吉浦宮花町)。
カラーストーンの美しさ。運気があがったり、願いがかなえられるというような神秘さがただよっていると感じました。石でできた伝統的な三重の石塔や、五重の石塔、多重塔は見ることがあっても、このような色つき小石をちりばめた飾り石塔に出合えるのが、散歩の醍醐味ですよね。
おや、なんだろ。海に近い町家の前に、肌色のれんが構築物が据えてありました。近づいてみると、耐火煉瓦を組み合わせたピザ窯だと分かりました。二段の鉄製の扉がついており、赤茶色のような扉だったのでしょうが、使いこなしているうちに、薪の煙ですすけ、熱を浴びて黒く変化していました。下段で薪を焚き、上段でピザを焼くんですよね。T字型の煙突がたち、耐熱性にすぐれたレンガかまどを見ているうちに、ピザが食べたくなりました。
耐熱レンガを19段かさねた本格ピザ窯が屋外に備え付けられているのは、吉浦では、ここだけだと思います。こういうピザ窯ならば、バーベキューにも使えるし、燻製づくりにも使えるでしょうね。食べることばっかし考えていると、お腹がグウと鳴りました(吉浦新町)。
JR吉浦駅前を走る国道31号線脇の歩道を歩いていました。と、軒下に、「土居旅館」と横書きした大きな木製の看板が掲げてありました。ああ、ここは旅館だったんだと、ひとり頷きました。看板の名前の下には、目立つ白文字で、「電 吉浦五八番」と記してあり、前時代的な印象を受けました。局番なしの電話番号は、今ではもう通用しません。わが街吉浦には、ビジネスホテルやファッションホテルが現存しますが、段々と宿泊施設は少なくなってしまいました。散歩していると、かつてははなやぎ、にぎわったことを連想させる看板だの建物も見ることができ、関心が湧き、興味を覚えます。「土居旅館」の昭和レトロな看板を見上げて、わが街の名物?遺物? と思ったことでした。
国道側面の駅前歩道は、民家がならんでいます。きょろきょろしないで、すたすたとまっすぐ歩けば、「土居旅館」という看板にはお目にかかれません。ぶ~らり、じろじろと、のんびりガラス戸や軒下を見て歩くことで、旅館の大看板が、この民家の軒下にあることを知ったのでした。吉浦のロマンは、こういうところにもあるんですね。だから、散歩って、たのしい。
趣のある看板に出会ったのは、吉浦東本町の道路を歩いていた時です。「ひちや」の看板のことです。上には、マルの中に「質」と書いてありますが、これは下に平仮名で大書してあるように、あきらかに「ひち」。ワードやエクセルで、「ひち」と叩いても、質の字も、七の字も出ません。質とか七を、「ひち」と言うのは、方言だということなんですね。かくれんぼをしている子らの数え方を聞いていても、大概は、「イチ、ニイ、サン・・・ヒチ」と言ってますよね。ということで、なつかしの「ひちや」看板の前にしばらく佇みました。
吉浦には、「松田ひちや」というお店はもうありません。看板だけが、「親切丁寧」という人情味と、「古着高価買受 大口歓迎」という主なる扱い内容を物語っていました。電話の3という局番も、吉浦には、もうありません。先だって配布された「呉市吉浦・天応地区テレパル50」の企業リストでも見当たりません。この看板を見ていると、ひちやの時代背景が感じられ、昭和の名残を感じました。
手紙をポストに投函するとき、吉浦の街なかを貫くこの地点に佇むことが、よくあります。ここからの眺めは、じっくりと見通せるので、心をとらえます。
うしろに茶臼山があり、はるか前方に紺碧の瀬戸の海があり、よくよくみると、米粒ほどの小島が見えます。無人島の小麗女島です。さらにその向こうに浮かぶのは、東能美島と江田島。山の手から吉浦本町のアーケード街に向かって、一直線の県道278号焼山吉浦線が貫いているこの光景は、 まるでスキーの助走路・シャンツェのようでもあり、超ロングすべり台のようにも感じます。
ここから真正面のJR呉線の吉浦駅ロ-タリーまで、約700m。晴れた初夏の一日、しばし目をこらして、一直線の吉浦路に見とれました。(吉浦中町で)
昭和レトロを感じさせてくれるところが楽しい。古い、古い、年代ものの看板や建物は、郷愁を誘いますよね。
内部からカーテンがかけられ閉店した佇まい。いつかまた何かのお店が新装オープンすることが楽しみです。
薬局の大看板はあってもこの薬局はもうありません。クリーニングの看板もありますが、閉店しました。
町民が正しい情報を共有するために、吉浦ではスピーカーによる広報や、自治会の回覧板、街角における掲示板など、さまざまな工夫を施しています。町内の広報紙「つばさ」もそのひとつ。「つばさ」は、毎月一回、吉浦まちづくりセンターで発行しています。パソコンやスマホからも、読むことができるようになっています。
吉浦の動向を知る上で、身近で頼りになる広報紙がいろいろ発行されています。たとえば、右から、吉浦地区青少年補導員連絡協議会発行の「よしうら」、吉浦地区社会福祉協議会発行の「吉浦社協だより」、吉浦地区交通安全推進協議会発行の「交通安全よしうら」。さらには、街づくりについての冊子「吉浦地区まちづくり計画書」というのもあります。