吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
趣のある看板に出会ったのは、吉浦東本町の道路を歩いていた時です。「ひちや」の看板のことです。上には、マルの中に「質」と書いてありますが、これは下に平仮名で大書してあるように、あきらかに「ひち」。ワードやエクセルで、「ひち」と叩いても、質の字も、七の字も出ません。質とか七を、「ひち」と言うのは、方言だということなんですね。かくれんぼをしている子らの数え方を聞いていても、大概は、「イチ、ニイ、サン・・・ヒチ」と言ってますよね。ということで、なつかしの「ひちや」看板の前にしばらく佇みました。
吉浦には、「松田ひちや」というお店はもうありません。看板だけが、「親切丁寧」という人情味と、「古着高価買受 大口歓迎」という主なる扱い内容を物語っていました。電話の3という局番も、吉浦には、もうありません。先だって配布された「呉市吉浦・天応地区テレパル50」の企業リストでも見当たりません。この看板を見ていると、ひちやの時代背景が感じられ、昭和の名残を感じました。
1. 質屋