吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
昔の人びとは、どんな事を考え、何を後世に伝えたいと思ったのでしょうか。その答えが、民話・伝承・史実にまとめた本になっています。その本が、「吉浦の昔ばなし集」と、「吉浦の昔ばなし集(続編)」の二冊です。吉浦の文化を進める会が発刊した本です。
第一集の「吉浦昔ばなし集」には、「お菊のガンギ」「どんぐり祭」「首銭平の伝説」「女神さまの古里」など、民話のほかに、「シベリヤ鉄道に従軍した吉浦の石工たち」(=画像)の歴史もの、吉浦古来の行事や地名、植物の由来話、人間の業をあらわにする因果応報の話など、面白い話や不思議な話、悲しい話など20話が収録されています。
「吉浦昔ばなし集・続編」には、「与八と天狗」(=画像)「天狗」「安芸の普門さん」「吉浦の屋号について」等々、物語5話、人物4話、研究物4話からなる13篇が掲載されています。
日章旗と旭日旗を掲げた潜水艦が、吉浦と江田島の間を、浮上して航行しました。呉に潜水艦の基地があるから、その雄々しい姿はよく見かけます。白い波しぶきをあげて突っ走る光景は、何度みても見飽きません。
潜水艦が好きなものだから、ゆめタウンで買い物のついでに、海上自衛隊呉史料館・鉄のくじら館「あきしお」艦内に、何度か入りました。潜望鏡で江田島や船を見るのを楽しみにしています。呉の潜水艦基地にも、係留している潜水艦を見にいくことがあります。潜水艦って、ひきつける魅力がありますよね。
小学生は学年別にマラソンが行われます。出発までは、つばくろ山の色づきを見つめたり、友達と話し合っていましたが、いよいよスタート。ピストルの合図で、一斉によーい、ドン。
町内を走るマラソン・ランナー(吉浦本町)。
お城といえば、世界遺産であり、国宝の姫路城が浮かんできます。ほかにも由緒あるお城が各地に現存していますよね。お城の独特の建築様式には、魅力を感じます。ところで、無名で城跡だけというのであれば、わが街にだってあるんです。
吉浦中町の市道沿いに、崩壊しないように、コンクリートで固めてある小山があります。野間水軍の堀城の城跡です。史跡とはいえ、個人の所有だから、覗くことはできません。
小山のふもとには、「急傾斜地崩壊危険区域」と、怖そうな案内板が目につきました。
遠くの小高い所から眺めてみると、平坦地であることが確認できます。堀城というお屋敷があったのでしょうね。
周囲は、落下防止のために、金網で囲ってありました。
キラキラした若人が、装い新たに集う成人式。吉浦地区では新春に吉浦まちづくりセンターで、人生の門出をお祝いする成人式が行われます。センターまえに集った希望に満ち溢れ、飛翔に輝くフレッシュ若人たち。なにがあってもクスクスと笑う姿が印象的。箸が転んでもおかしい年頃が、成人を迎えました。(吉浦東本町で)
成人式祝典のあと、壇上にあがり、祈念撮影
「おにいさん、おねえさん。おめでとう」と、成人の日を祝う幼な子
お祝いに駆けつけ、はなむけの曲を奏でる吉浦中学の吹奏楽部
吉浦八幡神社では、新年行事として、1月の第三日曜日に、吉浦運動場で焼納祭が行われます。つまり、「とんど」です。お正月に使った門松やしめ縄、古い御札、書き初めなどを竹のやぐらに置いて、火をつけます。炎が天に届く火の祭りです(吉浦西城町)。
1月の第三日曜日に、「とんど」のあることが、町内自治会の掲示板に貼り出されました。
「とんど」では、まずは、神主によって、つつがなき新年の家内安全と、意義深い神の守護と感謝を捧げる祝詞が奏上されます。
二基のやぐらが組まれ、神主さんが見守るなか、メラメラと勢いよく火が舞い上がります。
「とんど」の高さはどれくらいと思いますか? 背丈約1.7mの男の人が三人みえますよね。その三倍はあるでしょうから、ま、高さ10数メートルのやぐらと思われます。消防車も待機します。
書き初めには、「出発感謝出発」「協力」という文字が読めます。
二基のやぐらが、焼け落ちていく光景に、手を合わせたくなります。
すっかり焼け落ちると、竹竿につけたアルミホイルで包んだお餅を焼きに行きます。
熱いから、火のそばに近づくと、体があぶられるようで、熱くて、熱くて…。これが、またいいんですよね。人によっては、サツマイモを持参して、火の中にいれます。
「とんど」では、青竹をスパッと切った筒にお酒を入れてもらい、グイッとご神酒をいただきます。も、もちろん無料です。
吉浦八幡神社の境内では、吉浦女性会による甘酒がふるまわれます。体があたたまります。もう、感謝しかありませんね。甘酒で胃袋がほんわかとなり、「とんど」で体があたたまり、さらにご神酒で体が燃え、新しい年の「とんど焼納祭」が、体に意義深く染みわたります。
吉浦の街なかには、十二本の川が流れています。ここにかかげた西城川のように、果たして川とよべるのかというような渓流も含めて、東から、①東川、②神賀川、③横尾川、④笠岩川、⑤、宇根川、➅平林川、⑦大川、⑧、寺山川、⑨東宮川、⑩宮川、⑪西城川、⑫宮花川の流水です。すべての川に、川の名前がわかる表示板が立ててあります。川探訪、表示板めぐりをするのも、楽しいものです。意外なおもしろさを体験できるかもしれません。
広島市の隣接市が戦艦大和を造船した呉市です。その呉市の
西側に吉浦という町があります。
JR広島駅からJR呉線に乗って11番目の駅が、「吉浦」。
人口は2025年1月末現在で、4,740世帯、9,121人
(男4,373人、女4,748人)の穏やかな町です。
三方を山に囲まれ、瀬戸内海に面しており、倉橋島や江田島
が遠望できます。
空から見た呉市吉浦。正面の山は茶臼山。右側の山は鉢巻山。びっしりと建て込んだ町家の山の手に、広島市内と呉市内を結ぶ高架のクレアラインが見える。
左手前は、海上自衛隊呉造修補給所貯油所。
山の手から見た吉浦。瀬戸内海のむこうに、茫洋とかすむ左の島は倉橋島。
中央の島は東能美島。右の島は江田島。
「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦のさと」。
吉浦運動場の道一つ隔てた公園に建立されている藤原為時が詠んだ和歌。
(吉浦西城町で)
「この和歌は呉亀山皇城宮由来記によると平安時代紫式部の父藤原為時が筑紫より上洛の途吉浦生浜(現在の若葉町)に寄港した折に詠じたという伝説があります」
「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦のさと」と紫式部の父・藤原為時が吉浦を和歌に詠んだことが発端になって、平成3年から年一度、吉浦の小学生と中学生が集い、詩歌創作大会が行われています。大会は、吉浦西城町の吉浦運動場で行ったり、吉浦東本町の吉浦まちづくりセンターで開かれています。主旨説明や生徒の朗詠のあと、個々に分かれて短歌の創作がはじまります(吉浦まちづくりセンターで行われた時の模様)。