吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
呉市の吉浦集会所で、高齢者福祉行事として、「いきいきサロン」が催されました。「元気体操」で体を動かし、心のふれあいを愉しむ参加者。新型コロナの感染防止のため、マスクは欠かせません。
「高齢者のフレイル」についての解説や体温と血圧測定もありました。
JR吉浦駅のローターリーに、おやっと思わせる愉しい看板が立ててあります。吉浦中学生による吉浦歓迎の看板です。以前にもこの場所にありましたが、製作者がだれなのか分かりませんでした。こんどは、吉浦tyy学校のキャラクターである「よし子さん」があり、中学校名もしっかり書いてあるので、ほほう、とうなずけます。吉浦八幡神社と街の文化行事「カニ祭り」をあしらって、「わがまち吉浦へようこそ」という歓迎の心がにじみでていました。
吉浦にはいろいろな護衛艦が入港します。なかでも輸送艦の「4002しもきた」の勇姿にはほれぼれします。
コロナ禍の緊急事態宣言が解除され、吉浦の街は、おだやかな日々。小学校の東側に大川が流れており、ずっとその上流の空き地では、児童らが自転車乗りを楽しんでいました。
吉浦小学校の体育館の外壁にある校章です。校章の由来については、小学校のホームページに、次のように記してありました。「本校は明治6年、訓蒙舎として創立。同11年、吉浦小学校となる。校章の中央で交差しているのは、ペンと剣。ペンは文化や学問を表し、剣は剛健と正義を示している。外側の円は、文と剛が一体となる理想の姿を描く。大正15年、制定」。
小学校正門の右に大きな体育館が建っています。その白い壁面の上のほうに、校章のあるのが遠くからでも分かりました(吉浦中町)。
童謡の、「ぶんぶんぶん はちがとぶ あさつゆきらきら のばらがゆれるよ ぶんぶんぶん はちがとぶ」といった、おだやかな気配ではありません。吉浦の東墓苑の近くに、プレハブ小屋があります。ふと見上げると、な、なんと巨大なハチの巣。黄色いハチが何匹も、巣づくりをしていました。ハチには、スズメバチとか、アシナガバチとか、ミツバチとか名前だけは知っています。このハチは、なんていうハチなのでしょうかね。(吉浦東本町)
吉浦の自治会から、回覧板が回ってきました。その回覧板に、各家庭でしっかり読んで、保存してほしいという「地震・津波の避難の手引き」が添付されていました。時折この手引きを確認することが大切だと思いました。
避難の対処方法、避難場所など、手引きを見たらすぐわかるようになっており、家族で話し合うべき大切さを感じました。
吉浦の避難先は、まちづくりセンターと吉浦小学校と吉浦中学校の3カ所に指定されていますね。
吉浦の街なかには、いくつか公園があります。第二公園には、こんな変てこな遊具がありました。造形的には何ていうのでしょうか。名称なんて、どうでもいいのです。安心して、楽しく遊べるものなら、子どもらは喜びます(吉浦東本町)。
ぐんにゃり曲がったり、穴があいていたり…。器用に、そして用心ぶかく、注意して移動したり、座ったり、滑ったりと、まあ変わり種の遊具に乗っかって、楽しんでいました。
11人の子が、このコンクリートづくりの黄色い曲線大遊具の上にいました。危なっかしいけど、怪我をしたなんてことを聞いたことがありません。変化のあるこの遊具と一体になって楽しむ子らを、しばし見とれました。
吉浦にある海上自衛隊呉造修補給所貯油所を訪ねたとき、施設を理解するためのカタログをもらったことがありました。これがカタログの表紙。カタログによると、海上自衛隊の施設ではあるけれど、陸上、海上および航空自衛隊の燃料保管施設として陸海空の自衛官、事務官、技官が勤務し、多様な燃料、および油脂類の補給業務を実施していると紹介。
貯油所の第一、第二桟橋、オイル処理などおもな施設や、ドラム洗浄工場、オイルフェンスなど器材の紹介もありました。
補給所貯油所開所60周年に、記念の日本手ぬぐいをもらいました。
まずは助走して、丸太の斜面を途中までのぼる必要があります。そこに、二本の太い綱があります。綱を掴んだら、もう安心。ゆっくりと、上をめざしてのぼるだけ。二人がよーいドンと競争できますね。この幅のあるアスレチック斜面板が楽しめるのが、吉浦中町の「吉浦ちびっこ公園」です。
鎖が四角につながっている遊具。曲芸のような感じで、上に登ったり、左右に移動したりと、これまた、腕の力、指の強さをためすのが面白い。
曲線になった輪の間を、頭をぶっつけないように、慎重にあがったり、おりたりできる遊具ですね。
ジャングルジムもありました。ちびっこ達が楽しくすごせる変わり種の複合遊具は、見ていてもこころが弾んできます。
遊具ごとに、色がちがっているこまやかな心づかい。滑り台もちゃんとついています。
右に左に、前に後ろに揺れるゾウさんと、おウマさんの一人用スプリング遊具。このほかにも、鉄棒が公園の隅に備わっています。
循環バス「あじさい号」の停留所。吉浦ちびっこ公園と記してありました。
吉浦商店街のアーケードを歩いていると、デンマーク・デザインの青の器が目に入りました。オヤッ、いい器!、とショーウインドーに並ぶコペンハーゲン・ブルーのパン皿、コーヒーカップ、パントレー。こういう器を使ってコーヒーを飲み、パンを食べたらさぞおいしいだろうなあと、「ドルマン」のパン屋さん前で、しばし佇みました(吉浦本町)。
ガラス越しのショーウインドウには、マロンクリームデニッシュ、くるみレーズン、ミニバケットなどおいしそうなパンが、いろいろ並べてあります。カレーパンは、甘口と辛口の二種類があるので、辛口をよく買います。
アーケード街でパンをつくり販売している「ドルマン」。
海の街「よしうら」には、海の近くにたのしい遊具があります。ピーターパンに出てくる海賊フック船長思わすキャラクター。海賊船のマストの見張り台から、黒いハットをかぶり、右の目に眼帯をし、右腕には鉤爪の義手をしている愛嬌のある船長が睨みをきかせているふうです。曲線の鉄パイプの梯子から甲板に上がり、そこからすべり台を楽しむ・・・なんとも愉快な遊具がありました。(吉浦新町で)
石組みの底に、清らかな水が湧いています。ここは吉浦松葉町の細道にある泉です。覗いてみると、きれいな砂が見えました。澄み切った水は、昔から、涸れたことがありません。
吉浦は、細道、坂道、曲がり道が多い。散歩していて、人に出会えば、優しい声がかえってきます。
泉に辿り着くには、吉浦駅乗りあいタクシー「あじさい号」が通る市道から、2、3分、山の手の急坂の細道を上がらねばなりません。散歩にはちょっときついけど、泉を見ると、やすらぎますね。
石垣の途中にあるこの泉で、そばにある紐のついたバケツで水をすくい、手を拭ったりするのに重宝します。石組みが面白いですね。
吉浦の街なかには、いくつか公園があり、楽しい遊具が備え付けてあります。吉浦湾が望める吉浦池ノ浦町の池ノ浦団地児童遊園では、その名のごとく児童用の、カラフルな複合遊具を目にしました。
少し曲がったトンネルすべり台と、二つ並んだすべり台。ここに遊びに来た幼子は、何度もすべりたくなるでしょうね。
白馬と赤馬がにらめっこしてるようなスプリング遊具。お馬にまたがり、少しだけ上下にゆれるんですね。青い海をながめて癒されるのは、大人のほうでしょうねえ。
振り子のように前後にゆらして遊ぶロッキング遊具。よく使いこなした年季が入っていますよね。
水飲み場もあり屋根付きのベンチもあり、親子でゆっくりできる安全な遊園。出入り口二カ所には、この遊園の名称「池ノ浦団地児童遊園」と記してありました。
呉市立吉浦小学校で二回に分けて行われた吉浦地区成人式(令和3年1月11日)の模様を紹介する「吉浦社協だより」(左)と、55人の新成人が大人の仲間入りをしたことを紹介する吉浦市民センターだより「つばさ」3月号(右)。
吉浦の山の手の岩神町を散策していると、みごとな紅梅が咲き誇っていました。馥郁たる梅花をみつめていると、なぜかほのぼのと心が満たされてきました。
吉浦本町の細い路地が開けたところに紅梅と白梅が咲いていました。梅見頃の散策ってのは、ほんと気持ちいいですね。
吉浦東本町の山の手にも、白梅をみることができました。吉浦の家並みの向こうに瀬戸内海が見え、さらに江田島の山並みが茫洋とみえました。
海上自衛隊の運貨船(YL17)が、吉浦の海上自衛隊呉造修補給所貯油所の第二桟橋で、燃料の入った空色のドラム缶を巨大アームで積載している珍しい光景を目にしました。二缶一緒に吊り下げていました。
運貨船YL17は、全長27メートル。クレーンも備えているコンパクトな海上自衛隊の小型船。
第一桟橋には、民間巨大タンカー「旭竜丸」が、貯油活動をしていました。貯油基地には、地上と地下に燃料タンクがあり、敷地なに空色の燃料ドラム缶や茶紺色ふうな燃料ドラム缶を観ることができました。
貯油には、色んな民間オイルタンカーが接岸貯油しにきますが、全長104.47m、GT(総トン数)3,90トンの大きな旭竜丸を見ていると、勇壮な感じがしました。
吉浦の山には、桜と梅の花が同時に咲いている風景を楽しめました。
全長143m、全幅18mの海自練習艦「かしま3508」が、吉浦湾の海上自衛隊呉造修補給所貯油所の第一桟橋に接岸しました。ヘリコプター訓練甲板がある「かしま」の勇壮な姿に、しばしみとれました。向こうの山並みは、江田島。
給油中は、万一のオイル漏れにそなえ、オレンジ色のオイルフェンスが、「かしま」のまわりに張り巡らされました。
練習艦「かしま3508」は、アメリカ(真珠湾、サンディエゴ、ニューポート、フォートローダデール、アンカレッジ)、メキシコ(チアパス、マンサニージョ)、キューバ(ハバナ)、チリ(バルパライソ)、エクアドル(グアヤキル)、カナダ(バンクーバー)、ロシア連邦(ウラジオストク)、韓国(ピョンテク)に寄港したり、マゼラン海峡や北極海航行するなど、国内外の活動を、ほこらしく感じます。
正面の山が標高196mのつばくろ山。吉浦の街並みを見守っているようです。右側に吉浦小学校の体育館、左側の山すそに吉浦八幡神社が見えます。つばくろ山は、姿かたちがよいので、吉浦富士と呼ばれています。呉市のホームページ「地域紹介 吉浦八景」によれば、つばくろ山は昔,ツバメがたくさん住みつき,飛び交っていたので,この名が付いたと紹介しています。確かに田植え前後の頃には、毎年、吉浦本町のアーケード街や、吉浦集会所、また商店や町家に巣をつくり、飛び交うツバメをよく見ます。
山頂には、小板に、山の名前と標高が記されていました。山登りをした人のやさしい配慮が伝わってきました。樹木の間から、江田島と瀬戸内海が見えました。
「国土地理院」「大切にしましょう三角点」と記した白柱と、プラス印がきざまれている三角点の花崗岩製の角柱標識(左)。方向をかえて白柱をみたら「基本測量」「三角点」と書いてありました(右)
中腹では、石の角柱に、「山」と刻まれ上の部分に赤いペンキが塗ってありました。山火事注意ということなのでしょうか。
「ヤッホー」とつばくろ山に向かって大きな声を発すれば、「ヤッホー」と、こだまになって跳ね返ってきました。それがおもしろくて、子どもは数度、大声を出していました。
魚見山のふもと吉浦潭鼓町から望む「つばくろ山」。国道31号線や14階建ての白い海上自衛隊宿舎、4階建て空色屋根の吉浦まちづくりセンターがきわだって見えました。
正月のお飾り燃やす「とんど」二基。天に舞い上がる炎の神事。呉市吉浦西城町の運動場で、とんど焼納祭がおこなわれました。
新型コロナウイルスの感染が、去年の今頃から拡大し、パンデミックだの、クラスターだのと騒然たる世相を醸しており、感染の脅威は一向に衰えていません。こうした中で、コロナ禍の収束の願いもこめた「とんど」がおこなわれました。運動場には二基の「とんど」のやぐらが立てられました。
令和3年の焼納祭(とんど)のチラシ。
例年の吉浦成人式は、呉市吉浦まちづくりセンターで行われてきましたが、令和3年は、新型コロナウイルスの感染防止対策をとり、密集、密閉、密接の「三つの密」を避けて、吉浦小学校の体育館を会場に行われました。小学校入り口には、成人式の看板が立てられ、グランドでは、スーツ姿や羽織はかま姿、振袖姿が見受けられました。
呉市吉浦町の海上自衛隊呉造修補給所貯油所の第一桟橋に、給油のため接岸した護衛艦「いなづま105」。
護衛艦「いなづま105」は、長さ151m、幅17.4mの巨艦。基準排水量は4,550トン。タグボート・曳き船2隻が接岸作業にあたる。
この護衛艦「いなづま105」は、インド洋、ソマリア沖・アデン湾、スマトラ島西方海域、南シナ海などに出向派遣されたこともあり、インド、インドネシア共和国、シンガポール共和国、スリランカ民主社会主義共和国、フィリピン共和国へも訪問。呉市内で断水が発生したことを受け、艦内の入浴施設を被災者に開放したこともあり、今後も継続した活動が期待される。
吉浦の海上自衛隊呉造修補給所貯油所の正門に、お正月・新春を寿ぐ門松が二基ありました。こんなに大きく、立派な門松は、吉浦ではここだけしか見ることができません。「春立つやにほんのめでたき門の松」とは、関白豊臣秀次に仕えた徳元という人が詠んだ句。にほんとは、二本の門松であり日本独特の門松をさしているようです。そういうめでたい門松であることを実感しながら、見つめました。