吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
コロナ禍の緊急事態宣言が解除され、吉浦の街は、おだやかな日々。小学校の東側に大川が流れており、ずっとその上流の空き地では、児童らが自転車乗りを楽しんでいました。
吉浦小学校の体育館の外壁にある校章です。校章の由来については、小学校のホームページに、次のように記してありました。「本校は明治6年、訓蒙舎として創立。同11年、吉浦小学校となる。校章の中央で交差しているのは、ペンと剣。ペンは文化や学問を表し、剣は剛健と正義を示している。外側の円は、文と剛が一体となる理想の姿を描く。大正15年、制定」。
小学校正門の右に大きな体育館が建っています。その白い壁面の上のほうに、校章のあるのが遠くからでも分かりました(吉浦中町)。
1. 校章