吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
吉浦八幡神社の石の大鳥居の前から、急坂の山道をグングン歩いて行けば、コンクリートでできたガードの小坂路が出てきます。右側は吉浦運動場になっており、左側は「……来てみればいと住みやすき吉浦の里」の歌碑や健康遊具のある公園があります。ここに来るまでは、心臓やぶりともいうべき傾斜のきつい小坂路ですが、散歩で体力増進をはかるには、もってこいの道。
歌碑公園にある藤棚とベンチ。ひと休みして、さあ散歩開始。
小路からの眺め。びっしりとつまった町家や高層ビル。吉浦湾もちょっぴり見えます。正面の山は魚見山。
七福神の一柱・恵比須さまと対面させていただいたのは、吉浦中町を散歩していた屋根付きの壁のある路地でした。恵比須さまは、もともとは大漁をもたらす漁業の神さま。海の名前にふさわしいわが街「吉浦」に、恵比須さまは商売繁盛の神さまとしても崇められます。こちらの宅は、何か商売をしているのでしょうか。魔除けや家運隆盛の願いを込めて、恵比須さまを飾っているのでしょう。風折烏帽子を頭にし、ヒゲをのばし、左の小脇には鯛を抱え、右手は釣竿を持っている仕草をしておられ、にこやかに微笑みに、なにか有難くなって拝見しながら通り過ぎました。
散歩していると、いろんな光景を目にする楽しさがあります。街ん中の民家入り口に、黄色いボートが立て掛けてありました。手漕ぎ用の小型グラスファーバーボートです。軒下にちょうど収まっているから、大きさが大体分かります。海のある吉浦だからといって、ボートを家の立てかけてあるのは、吉浦ではここだけだと思いながら、珍しげに佇んで見つめました。(吉浦東本町で)
広島と呉を結ぶ有料道路のクレアラインが、吉浦東本町の山手では高架になっています。その近くには、チビッ子広場があり、道路は三差路になっています。右に行けば、天応、海田方面。手前こちら側を行けば鍋土峠、焼山方面。左手に向かえば、吉浦の街なか方面です。道はいつもきれい。な~ぜか?
答えは、「この道はわたし達がきれいにしています 里山クリーンの会」と、白と緑のツートンカラー立て看板に記してあります。つまりは、ここから鍋土峠に向かう焼山吉浦線の道路がきれいなのは、ボランティアのおかげなんですね。ポイ捨て禁止や、ゴミを捨てないで、というチラシ看板も、道の所々に立ててあり、美化運動の呼びかけが聞こえてくるようです。
吉浦西城町の高台の路地を歩いていると、注目をひく獅子ふうというかシーサーふうといったらよのか、二体の獣像が門の上に据えられていました。魔除けであり、飾りであり、じっくり見ていると、どこか愛嬌もあるような感じがしました。このような置物は、大体が一対ですよね。吉浦八幡神社の参詣石段の途中には、唐獅子一対があり、境内には阿吽の呼吸よろしく石獅子一対がありますでしょ。民家でこのような巨大な置物をみかけるのは、吉浦ではここのお家くらいではないかと思います。向こうの山は、魚見山。
吉浦の街は、細い曲がりくねった小路とか、坂があちこちにあります。ここは車が通れるところではありません。散策するには、安心して歩けるので、珍獣の置物に出会って、気分さわやかになりました。
俗に、長寿の象徴として、古来から「鶴は千年、亀は万年」といわれています。なかでも、鶴は、折り鶴、千羽鶴で知られ、瑞鳥・瑞兆と尊ばれていますよね。祝福、病気平癒、見舞いなどに、いろんな使い方をされています。めでたい鶴を帯状の飾り瓦にした塀を、吉浦の「あじさい号」バスの通り道でみかけました。(呉市吉浦松葉町で)
下が石垣塀、上が赤レンガ塀、その中間に鶴をデザインにした飾り瓦が帯状にはめてあるユニークな三位一体の塀を見て歩くのが面白い。
堅い守りの象徴であり、長寿をあらわす吉兆と縁起物の亀。長い尾がついており、いかにも長生きの主としての存在感を感じながら、見歩くのが楽しい。
吉浦東本町の山の手に、すべり台や鉄棒を備えたチビッ子広場という公園があります。そこは三差路になっており、東側の山の斜面に、太い木の模様をかたどったコンクリート木目の段々道があります。ゆっくり、のんびり上がって行くと、視界が広がります。人も上れば、イノシシも上るのでしょうか。天に向かっての一本坂を歩くと、しんどさはあるものの、上りつめたら、気持ちのよいものです。
登り口に、黄色の看板があります。「適正狩猟、脱包の励行、転倒注意、矢先の確認、銃の管理の徹底」と記してありました。な、なんとも物騒。この看板は、広島県猟友会と広島県鉄砲保安協会のものであることが分かります。メインはイノシシ対策なんでしょうね。
イノシシが出没するかも知れないと思えば、このまっすぐな坂階段を上がるのは、あまりいい気持ちがしません。吉浦の山の中では、ところどころで、イノシシの捕獲ケージを目にすることがあります。
畑のまわりには、イノシシが作物を喰い荒らさないように、鉄柵を
施している光景も目にします。
JR吉浦駅前から隣町の焼山へ行く県道278号線の吉浦・鍋土峠で、棚田を見ることができます。棚田のいちばん下の段は、睡蓮の池。今がちょうど見ごろ。いくつもの赤い睡蓮が目をひきつけます。
佛様の台座を思わす鮮やかな赤い睡蓮を見つめていると、心が洗われ、清らかにしてもらえるような、いい気持ちになりました。
おたまじゃくしもいました。耳には、ここちよいカエルの声も聞こえて、のどかな田園の風情が楽しめます。
道路脇の睡蓮の池から上の棚田には、稲穂になる苗が天をめざして、すくすく育っていました。
睡蓮池と棚田に向かう途中にある広島県道278号線の道路標識。県木の赤い紅葉のデザインが印象的。右の画像は、278号線・焼山吉浦線の道路沿いに立つ「鍋土峠」の表示板。
6月10日は時の記念日。日本で初めて時計装置が使われた日を記念して制定されたんですってね。この日を前後して咲く花が時計草。吉浦中町の吉浦小学校の北面通りを歩いていると、時計を連想させる時計草(トケイソウ)が咲いていました。
緑の葉茂る生け垣には、次から次へと時計草が咲くので、毎年6月になると、この散歩コースが楽しみになります。右側の3階建ては、吉浦小学校の校舎。
花の姿というか形が、まさに時計の文字盤に似ていますね。長針、短針、秒針のように見えるから、ついつい、みとれてしまいます。
時計草がほっこりと咲く生け垣を通り過ぎて、足をとめ、ふり返ってみました。青と白と紫の模様が味わい深いですね。
蕾があちこちにあるから、当分は散歩しながら時計草を愛でることができます。
新型コロナウイルスの感染防止策で、地元の呉市立吉浦小学校は、分割授業でしたが、6月1日から正常授業になりました。親御さんは、ホッと胸をなでおろしていることでしょう。山の手に近い吉浦の奥の坂道を下り、ランドセルを背に、交通安全の黄色い帽子をかぶる児童たちが、元気よく登校していました。友だちと通学路を歩き、登校する姿は、ほのぼとします。
吉浦上城町と吉浦松葉町の間の坂道を散歩しました。晴れ渡った青空を見上げれば、風見鶏が気持ちよさそうに唄ってるようにみえました。あのニワトリは、白色レグホンかなあ。その下には、矢があり、先端のやじりと反対側の矢羽は、とてもユニークで楽しいデザイン。さらにその下には、W、E、S、N、という英文字の四方位。風向計を型どっているんですね。
風見鶏の風向計だけど、警戒心が強い雄鳥の習性から、魔除けの意味があるなどと思いながら、通り過ぎてまた引き返して見上げたり、ああ、首がだるくなりました。
風見鶏は、白い円柱に赤茶色のトンガリ屋根の上についていました。ムーミン谷のようなメルヘンを感じました(吉浦上城町)
吉浦の細道、坂道、曲がり道を散歩すると、オヤッと思う光景に目をひかれることがあります。風見鶏のある坂道もそのひとつ。こういう出会いが散歩の醍醐味です。この道も通りゃんせ。
都会では、電話線や電線などを地中に施し、電信柱なるものを撤去し、さわやかな道路景観を感じることがあります。吉浦では、細い路地があちこちにあり、電信柱をすこしでも道の端に寄せて、通行の便宜をはかるという工夫があります。白壁に添うように電信柱が立てられ、屋根に突き当たる前に曲げるという面白さ。知恵を絞ったというか、知恵をいかしたやり方…。そういえば、ガードレールを支える柱や、カーブミラーの柱も曲げて立てられているのも、よく目にします(吉浦東本町で)
下から見上げてみると、まっすぐな電信柱のようですが、上のほうでカーブしているのです。柱には、「NTT 東本町」という表示板がついていました。
編み笠をかぶって、少し首をかしげ、右手に徳利をもった巨大な愛らしい信楽焼きのたぬき像に出会ったのは、吉浦岩神町の細道を散歩していた時のことです。たぬきとは、「他を抜く」という洒落があるように、家運繁盛に通じるなあんて思いながら、路地に佇み、しばしご対面させていただきました。
♪たん たん たぬきの○○○○は 風もないのに ぶーらぶら それを見ていた 親だぬき おなかをかかえて わっはっは♪
人の丈より高く大きいたぬき像にご対面して、子どもの頃、意味もわからず口ずさんだ「たんたんたぬきの」歌を、ふと思い出し、思わず「プッ」と吹きだすような思いにかられました(吉浦岩神町で)
吉浦東本町の路地を歩いていると、白壁の屋根に沿って、みごとな紫の花が垂れ下がっていました。空の青と藤の紫のとり合わせに、何か得をしたような気持ちになり、しばし足をとめて見入りました。藤の花といえば、江戸時代の作陶家・野々村仁清の「藤花文茶壺」(MOA美術館蔵・国宝)を思い起こしました。
吉浦の街なかは、くもの巣のように、細い路地がいっぱいあります。そういう路地巡りの散歩は、気分を爽快にしてくれます。藤の花が咲く頃は、紫の花房をみあげながら、ゆっくりこの細道を通りぬけるのが楽しみにです。向こうの山は、魚見山連山の一部。
吉浦新町二丁目に、「池の浦」バス停があります。このバス停こそ、映画「海猿」で、仙崎大輔と伊沢環奈が雨宿りするシーンにでてくるところです。
なんの変哲もないバス停ですが、映画に出てきたバス停なら、ちょっと寄って、座ってみようという気になります。
「池の浦」バス停に並行して、JR呉線があります。この吉浦住宅踏切で、消防車が放水して雨のシーンを演出したということです。
吉浦松葉町の観音堂から山の手に向かう細い坂道を踏みしめながら、歩きました。こんもりと緑の葉が茂るツツジの上に、にこやかな、愛嬌のある大きなシェフ像に出会いました。「へーい、元気かあ。滑らないように気を付けてね」なあんて声をかけられたような感じがする肉付きのよいイタリアのシェフ ・ ロ ・ カーポ像。親しみのこもる表情に、話しかけてみたくなりました。こういう意外性の出会いが、散歩の楽しみでもあるんですよね。
シェフ像の立ち位置は、かなり高い所なんですね。左上に居るでしょう。わかりますかあ。細い路地坂道を上ったり下がったりする時に、目につきます。
ちょっと見る位置を変えると、趣がこれまた少し変わって見えます。吉浦の路地って、愉快な「モノ」によく出会えます。(吉浦松葉町で)
童謡「通りゃんせ」をつい口ずさみたくなるような細道。ここは、行きもよいよい、帰りもよいよい、って言いなおす気持よい細道。誓光寺の正門前から地酒水龍蔵元の前を通って、第二公園を横目に見ながら、ほどなく行くと、この道に出るんですよね。遠回りになるけど、この美観路地を通りたいために、わざわざ散歩道にしています。
土蔵の足元付近は、黒と白の幾何学模様の「なまこ壁」になっています。継ぎ目の部分が、かまぼこ型のように漆喰で盛り上がっており、これが海の「なまこ」に似ているから、「なまこ壁」と呼ばれるんだとか。散歩するたびに、このデザインが目に入り、癒されます。
ちょっとはなれた同じ東本町の路地でも、なまこ壁を見かけました。