吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
怒濤のごとく流れる吉浦大川。中国電力吉浦変電所のそばの光景です。梅雨に入り、雨が降り続き、風が舞っています。濁流の吉浦大川を見ていると、なんだか吸い込まれそうな感じがしました。
大雨のあと、誓光寺に近い川沿いでみた、すさまじい勢いの吉浦大川の流れ。川の段差で、激しい流水の音がひときわ大きく唸っていました。
変電所近くの東清水橋のガードレールに、吉浦大川の名前が記してあります。
中流に立つ大川の「砂防指定地」の表示板。この橋を渡って左側へ行くと、山を越えて隣町の焼山につながります。
鳴滝の清流も流れ込み、段差がいくつもある大川。吉浦には、この吉浦大川を含め12本の川があります。西から①宮花川、②宮川、③西城川、④東宮川、⑤寺山川、⑥吉浦大川、⑦平林川、⑧宇根川、⑨笠岩川、⑩横尾川、⑪神賀川、⑫東川の12渓流。なかでも、この吉浦大川が、わが街では横綱級といえます。
呉市吉浦の神賀川は、魚見山を源として、吉浦湾に注ぎこみます。緩やかな流れや、急傾斜の流れや、段差のある流れなど、川べりを散策するのが、楽しくなります。中流のこのあたりは、川底に整然と石が組まれており、その両横も石垣がほどこしてあり、気持ちよさを感じます。向こうの山は、つばくろ山。
吉浦新出町の奥まったあたりに、呉市吉浦墓地と誓光寺墓園があり、その最奥に神賀川の表示板が立っています。ここらあたりが神賀川の源流であることが踏査して分かります。表示板のそばに、赤枠で記したもうひとつの鉄製看板が立っていますが、表面が風化して、文字はまったく判読できませんでした。
急流をゆるやかにするために、石段で段差をつける工夫がなされています。傾斜地ゆえの段々になって流れる上流付近の神賀川。
二種類の「急傾斜崩壊危険区域」の表示板が、神賀川の中流沿いに建てられていました。いずれも、新出・神賀地区と記されています。
下流近くでは、神賀川に橋をかけ、車が数台、間隔をあけて停めてありました。川上は、絶好の車庫なんですね。
鉄板で覆った橋や、コンクリートの橋、また家並みを歩きながら見る景色は、味わいがあります。
神賀川の下流では、川の両側が車道・人道になっています。
この時期の上流では、鮮やかなアジサイを愛でることができました。
数年前は表示板が苔にや湿った埃で文字が風化・劣化し、何が書いてあるか読めませんでした。新しくなって、「砂防指定地 土石流危険渓流 東宮川」と、はっきり読め、気持ちいい立札になりました。上流は、クレアラインと市道の汐見橋6号線の下を流れ出てきます。左の石段をあがって行くと、吉浦駅と天応を往復するアジサイ号のバス停「上城町」があります。
東宮川の表示板は、住宅地の沿道一カ所だけにあります。吉浦上城町で。
東宮川は、吉浦のなかでは急傾斜渓流の5指に入ります。左手奥のほうには、うっすらとかすむ江田島の山並みが望めました。もっと晴れていたら、瀬戸内海の一部もみることができます。コンクリート沿いを流れてきた東宮川は、主流の宮川に合流します。
川沿いには、手すりが途中までついています。左手には、斜面に桜の大木があり、季節になると桜花爛漫の見栄えがする呉拘置支所の建物があります。
吉浦新出町の傾斜を流れる宇根川。川の表示板は、かなり錆びついていました。まだ判読できますが、数年したら、作り直してもらわなくては、と思いながら、表示板の文字を読んでみました。「土石流の発生する恐れがありますので・・・」。はあ、だから危険渓流なんだ、と納得しました。
この宇根川は神賀川へと注ぎこみます。細い川沿いの道から、おっこちないように、ガード柵やガードレールがついています。
絵解き地図のような「砂防指定地 宇根川」の表示板。現在地が中央に白っぽく示してあるのが、ようやく分かります。絵図を見れば、この川の左には、砂防ダムが数カ所あるようです。いや、砂防ダムではなくて、橋かな。川を辿ってたしかめなくては。こういう表示板をみて、川を探訪するのは、楽しいことです。吉浦の街なかを流れる12本の川巡りのおもしろさ。
宇根川沿いの町家の庭に、屯田兵のような門兵の大きな男性ブロンズ像が立っていました。笠帽をかぶりアゴひもでむすび、詰め襟、七つボタンの制服、地下足袋と草鞋を履き、横腹に手を当て、顔を上向きにして遠くを見つめているオブジェ。いつか、お家の人にいわれを聞いてみようと思いました。
上城町の山の手に設置されている土石流危険渓流と記された「宮川」の表示板。
宮川の第一および第二支川の絵入り表示板。すぐ近くに、桜の名所で知られる上城公園があります。
中流あたりの宮川には、土砂崩れが起きないように、丈夫な鉄骨が何本も仕組んであるところが目につきました。
広島市内と呉市内を結ぶ国道31号線の下を、宮川が流れています。交差点の信号機に、「宮川橋」と、川の名前が示してありました。
宮川の河口あたりには、白い廃車バスがありました。昔は、ここが広場になっており、呉駅から来たバスはここで方向転換し、呉駅へ折り返したことを、近くの古老から聞きました。吉浦カニ祭りの太鼓などが入れてある廃車バスの下から、JR呉線の下をくぐり、吉浦湾へと宮川は流れ込みます。向こうの14階建ての高層ビルは、自衛隊宿舎。
吉浦八幡神社のそばを流れる宮川沿いには、夏になるとザクロの実る光景が楽しめます。
呉市吉浦宮花町を流れる宮花川。上流では、コンクリートでしっかり固めてあり、土砂災害に備えた造りです。宮花川には、5種類の表示板があります。この「砂防指定地 宮花川」がひとつ目。
中流には、頑丈な砂防ダムがあり、「砂防指定地 宮花川砂防ダム」の表示板は、湿気のためにカビがはえたようで風化がはげしく、判読しずらい。これがふたつ目の表示板。
町家沿いの生活道路と、崖がわの遊歩道が、川を挟んでいます。宮花川を散歩するのが楽しくなります。
土石流が発生するおそれがあると記されている三つ目の「砂防指定地・山腹崩壊危険地区・土石流危険渓流 宮花川」の表示板。危険の文字がふたつも記されているこの表示板も、退色しつつあります。なんとも、怖い怖い表示板に見えました。
図解入りの「砂防指定地 宮花川」の表示板。これで四つ目の表示板。現在地がかろうじてわかります。ははあ、この川は右から左に流れ、国道31号線に向かっているんだという絵ときができました。
戸数が少ないせいもあってか、人と会うことがありませんでした。このあたりで物を落としたら、川底が深いので拾うことができないと思いました。
上流でみかけた五つ目の「急傾斜地崩壊危険区域 宮花10地区」の表示板。絵図が記されているようですけど、風化して、よく分かりませんでした。ともあれ、土砂災害だの山腹崩壊だの、危険渓流だの、急傾斜地崩壊だのと、まあ、これでもかというくらい怖がらせていただきながらのスリル感ある散歩になりました。この宮花川は、JR呉線の下をかいくぐって、やがては吉浦湾に注ぎ込んでいきます。
国道に近い宮花川のそばには、慈光院があり、子安地蔵のご尊顔を路地から仰ぎみることができます。「取りこし苦労も過ぎこし苦労もせんでいい」とやさしく語りかけてるようで、安らぎを覚えます。
魚見山のふもとが源流の東川には、砂防の指定地であり、土石流危険渓流であることを記した表示板が立っている。表示板のあるところから、高層マンションなど吉浦の街の一部が見え、瀬戸内海や江田島の連山が霞んで見えるくらいだから、東川の源流近くは標高の高いことがわかる(吉浦東町で)
川の名前を記したもう一つの東川の表示板。
かなり風化した上流の表示板には、「急傾斜地崩壊危険区域 吉浦東210地区」と判読できた。
東川の99%は暗渠で、道路の下を流れている。だから、東川は一体どこを流れているのか川探訪するのもおもしろい。街なかの下流あたりでは、ところどころに鉄柵の蓋がしてある。
JR呉線をはさんで、海側には、遊水を調節するポンプが設置されている。ポンプには、「吉浦遊水池ポンプ所」と記されている。海水の満潮や干潮で、この遊水池は水量が変わる。向こうに見える山は、魚見山。
吉浦新出町を歩いていたら、川の流れに沿って二つの表示板がありました。近づいて見ると、「崩壊危険区域」と、「笠岩川」の表示板でした。たしかこの川は神賀川の筈だが・・。
世の中に、一本の川であっても、複数の名前をもつ川ありますよね。たとえば信濃川と千曲川。紀の川と吉野川しかり。だから、吉浦の街を流れる神賀川も、このあたりでは笠岩川と呼ぶのかなと思ったことでした。ところが違うのです。画像は神賀川です。写真では見づらいけれど、中央上の、茶色の鉄の橋のところに、笠岩川のあることが分かりました。ということは、神賀川に複数の名前はないということです。散歩していると、こういう面白いことに出くわすのが楽しい。
吉浦新出町12地区の地形図。青色が河川水路で、Yの字になっており、二つの川が合流していることが分かります。
この表示板は、笠岩川が土石流危険渓流であることを示しています。
中央の川が笠岩川。右上から左下へ斜めに流れるのが神賀川。川底の石畳みの模様を見入るのも楽しい。笠岩川が神賀川に合流する流域の吉浦新出町で。
笠岩川のそばに建っている「砂防指定地 笠岩川」の表示板。真ん中に浮き立つように描かれている白色がこの表示板の位置で、青色が渓流で、その渓流の中に横になった黒いT字のようなしるしが砂防ダムで、と絵ときができました。現地に佇んでみて、初めて納得できる案内図なんですね。
この笠岩川の名前は、だれが付けたのか、いつごろ命名したのか。笠岩川のことを調べてみようと思います。興味深いことを調べるには、呉市立図書館か、市役所に足を運ぶのが、調査の早道かな・・
笠岩川の上流
墓地のすぐ横を流れる渓流に立つ「横尾川」の表示板。川の名前の表示よりも、「土石流発生のおそれがある」ことを示すほうに重きを置いているのが分かる。長年の日照りや、山の湿気、寒暖などで、表示板がいたみ、文字がかなり消えかかっている(吉浦新出町で)
横尾川の河口は、手前の神賀川に流れ込む。
一般の人が、川に沿って歩けるのは、ここまで。砂防堰堤(えんてい)で行き止まりになる。川底は石組みになっているが、雑草の茂りや葉っぱがあってよくわからない。
この横尾川のように、吉浦の神賀川に合流する川は、ほかにも笠岩川、宇根川がある。
横尾川のすぐ近くの谷間で、2018年の夏、西日本豪雨により土石流が発生し、流木や岩が墓地に流れこみ、道の両脇にあった約100墓が見当たらなくなった。
県道278号焼山吉浦線の路上からの眺め。平林川の石組みの美しさに魅せられる。吉浦の街なかを流れる川は12本ある。川巡りの散歩も楽しい。(吉浦東本町で)
平林川上流には、砂防堰堤(砂防ダム)が、デ、デーンと聳えている。名も知らぬ紫の花が目を引いた。
平林川の堰堤(えんてい)表示板。立ち入ったり、遊んではいけない。あぶない。危険の文字がオドロシイ。
平林川(右)と大川(左)の合流点。平林川が支流で、大川が本流ということなんですね。
上流には吉浦東墓苑があり、道路わきに共同井戸ポンプが据えられている。
茶臼山の東の麓を源とする吉浦の寺山川。吉浦集会所の近くでは、気持ちのよい石畳みの川床を楽しむことができます。流れにそって小道をゆけば、春から初夏は、ニオイバンマツリやカンナなどの花を愛でることもできます。秋になれば、この位置から、柿の鈴なりを目にすることができます。(県道278号 焼山吉浦線の道路からの眺め)
寺山川が見渡せる民家のそばに咲く鮮やかなゼラニウム。自治会の手によって、毎月、川掃除があり、環境美化が保たれています。
上流には、「土石流(危険)渓流」の白い表示板が立ててありました。<危険>という文字は風化していますが、近づいてよくよく見ると、判読できました。大雨の時は土石流が発生する恐れがある、なあんて怖い文面が印象に残りました。
ずーと上流に行くと、坂道に沿って寺山川が流れています。井戸があったり、瀬戸内海や江田島も見えました。
有料道路クレアラインの高架の下には、「砂防指定地 寺山川」の表示板がありました。等高線と付近の道路や路地が書き込んであります。クレアラインが横に太く茶色で書いてあるから、大体の位置関係がわかります。こういう表示板の絵ときをするのも、散歩の楽しみです。
源流に近い寺山川の砂防堰堤には、かなり風化した「砂防指定地」の表示板が掲げられていました。砂防ダムに立ち入ったり、貯水池で遊ばないで、と書いてあるのが読めました。
吉浦集会所の入り口から見た石畳の寺山川。ゼニアオイの花が、安らぎを与えてくれます。
吉浦の街なかには、十二本の川が流れています。ここにかかげた西城川のように、果たして川とよべるのかというような渓流も含めて、東から、①東川、②神賀川、③横尾川、④笠岩川、⑤、宇根川、➅平林川、⑦大川、⑧、寺山川、⑨東宮川、⑩宮川、⑪西城川、⑫宮花川の流水です。すべての川に、川の名前がわかる表示板が立ててあります。川探訪、表示板めぐりをするのも、楽しいものです。意外なおもしろさを体験できるかもしれません。