吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
上城町の山の手に設置されている土石流危険渓流と記された「宮川」の表示板。
宮川の第一および第二支川の絵入り表示板。すぐ近くに、桜の名所で知られる上城公園があります。
中流あたりの宮川には、土砂崩れが起きないように、丈夫な鉄骨が何本も仕組んであるところが目につきました。
広島市内と呉市内を結ぶ国道31号線の下を、宮川が流れています。交差点の信号機に、「宮川橋」と、川の名前が示してありました。
宮川の河口あたりには、白い廃車バスがありました。昔は、ここが広場になっており、呉駅から来たバスはここで方向転換し、呉駅へ折り返したことを、近くの古老から聞きました。吉浦カニ祭りの太鼓などが入れてある廃車バスの下から、JR呉線の下をくぐり、吉浦湾へと宮川は流れ込みます。向こうの14階建ての高層ビルは、自衛隊宿舎。
吉浦八幡神社のそばを流れる宮川沿いには、夏になるとザクロの実る光景が楽しめます。
1. めでたい川の名前