吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
墓地のすぐ横を流れる渓流に立つ「横尾川」の表示板。川の名前の表示よりも、「土石流発生のおそれがある」ことを示すほうに重きを置いているのが分かる。長年の日照りや、山の湿気、寒暖などで、表示板がいたみ、文字がかなり消えかかっている(吉浦新出町で)
横尾川の河口は、手前の神賀川に流れ込む。
一般の人が、川に沿って歩けるのは、ここまで。砂防堰堤(えんてい)で行き止まりになる。川底は石組みになっているが、雑草の茂りや葉っぱがあってよくわからない。
この横尾川のように、吉浦の神賀川に合流する川は、ほかにも笠岩川、宇根川がある。
横尾川のすぐ近くの谷間で、2018年の夏、西日本豪雨により土石流が発生し、流木や岩が墓地に流れこみ、道の両脇にあった約100墓が見当たらなくなった。
1. 墓地そばの横尾川