吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
吉浦新出町を歩いていたら、川の流れに沿って二つの表示板がありました。近づいて見ると、「崩壊危険区域」と、「笠岩川」の表示板でした。たしかこの川は神賀川の筈だが・・。
世の中に、一本の川であっても、複数の名前をもつ川ありますよね。たとえば信濃川と千曲川。紀の川と吉野川しかり。だから、吉浦の街を流れる神賀川も、このあたりでは笠岩川と呼ぶのかなと思ったことでした。ところが違うのです。画像は神賀川です。写真では見づらいけれど、中央上の、茶色の鉄の橋のところに、笠岩川のあることが分かりました。ということは、神賀川に複数の名前はないということです。散歩していると、こういう面白いことに出くわすのが楽しい。
吉浦新出町12地区の地形図。青色が河川水路で、Yの字になっており、二つの川が合流していることが分かります。
この表示板は、笠岩川が土石流危険渓流であることを示しています。
中央の川が笠岩川。右上から左下へ斜めに流れるのが神賀川。川底の石畳みの模様を見入るのも楽しい。笠岩川が神賀川に合流する流域の吉浦新出町で。
笠岩川のそばに建っている「砂防指定地 笠岩川」の表示板。真ん中に浮き立つように描かれている白色がこの表示板の位置で、青色が渓流で、その渓流の中に横になった黒いT字のようなしるしが砂防ダムで、と絵ときができました。現地に佇んでみて、初めて納得できる案内図なんですね。
この笠岩川の名前は、だれが付けたのか、いつごろ命名したのか。笠岩川のことを調べてみようと思います。興味深いことを調べるには、呉市立図書館か、市役所に足を運ぶのが、調査の早道かな・・
笠岩川の上流
1. 吉浦の川で一番短い笠岩川