吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
吉浦商店街のアーケードを歩いていると、デンマーク・デザインの青の器が目に入りました。オヤッ、いい器!、とショーウインドーに並ぶコペンハーゲン・ブルーのパン皿、コーヒーカップ、パントレー。こういう器を使ってコーヒーを飲み、パンを食べたらさぞおいしいだろうなあと、「ドルマン」のパン屋さん前で、しばし佇みました(吉浦本町)。
ガラス越しのショーウインドウには、マロンクリームデニッシュ、くるみレーズン、ミニバケットなどおいしそうなパンが、いろいろ並べてあります。カレーパンは、甘口と辛口の二種類があるので、辛口をよく買います。
アーケード街でパンをつくり販売している「ドルマン」。
なあんでこんな高い煙突が必要なのか、工場関係者ではないから分かりません。ともかく、吉浦で、一番高い煙突が二本立っていることは、散歩していて分かります。地元の味噌屋さんや酒造屋さんのところにも煙突はありますが、吉浦の海沿いのこの工場煙突は、格段に高いことを誰もが認めるところでしょう。高さは30メートルあると言われています。煙が出ているのを見たことは、一度もありません。清潔な白い煙突は、吉浦名物といっても過言ではありません(吉浦新町)
広電バスが通るこの道路沿いは、屏風のように工場が建ち、ずずっと向こうに二本の立派な煙突が見受けられ、壮観な光景です。
煙突の真下に行ってみました。青空にマッチしている二本煙突は、クレトイシという会社の物なんですね。
クレトイシ株式会社の事務所が、道路を隔てた山手側にあります。
事務所の隣の建てものは、戦後しばらくオランダ軍が使用していたということです(右)。これもクレトイシの施設で、戦後しばらくは、オランダ軍のジープの修理工場として使用されていた歴史があります。
骨組みだけになっている障子の建具が、道路にズラリと並べてありました。古い障子を剥がし乾かしているのがわかります。もうすぐ真新しい障子紙が貼られることになるようです。焼山吉浦線の県道278号線沿いで、見かけた光景です(吉浦本町で)。
軽自動車には、10数枚の真新しい畳が積み込んでありました。出来上がった畳を、依頼主のお家に運ぶのでしょうね。数えてみたら、14枚。イグサのあの独特な香りが漂いました。
道路わきの畳屋さんの看板が、二階の壁に「シタサキ」とカタカナで掲げてありました。お盆前後や年末にかけて、障子の貼り替えが多くなると聞きました。
ガラス戸には、網戸、ふすま、障子、畳の黒や赤いたて文字が貼ってあり、親しみのわく佇まいを感じました。
呉市吉浦の北限の食品店といえば、焼山と吉浦を結ぶ県道278号線沿いにあるこの「さなだストアー」。酷暑の夏でも、極限の冬でも、さなだストアーは、ドアとかカーテンなどはしません。室内をエアコンで冷暖房をするものの、外気温とほぼ同じような感じ。いつもあけっぴろげだからこそ、入りやすいともいえます。奥で扱っている魚に魅力があり、揚げたての天ぷらもいい。駐車場もあって便利な食品店だから、よく利用します(吉浦本町で)。
JR吉浦駅前から一直線に山の手までのびるほぼ真ん中あたりにさなだストアーがあります。この店を通り過ぎれば、もう食品店はありません。外のガラスには、みのり幼稚園の秋の運動会や介護施設パーチェの催しなどのチラシが貼ってあり、地域と絆の深い結びつきのある店だと感じます。
広電バス停「吉浦駅」でみた街中の略図。上の方が、広島呉道路。下の方が、JR呉線や海。さなだストアが北限の食品店であることがわかります。
吉浦東本町すじでの食品店は、この「shopむらかみ」だけ。店頭には、新鮮な野菜や果物が目につくから、つい立ち止まって見つめ、やっぱり買おうって気になります。今日も散歩がてら足が向きます。
じゃがいも、玉ねぎ、キャベツ、トマト、ナス、ミカン、切り花などが、店頭でザルや小箱に入れて整然と並べてあります。黄色の紙に野菜の名前と値段が書いてあります。車で通り過ぎる人でも、徐行すれば何が並んでいるかが分かることでしょう。値段がひときわ大きく赤い字で書いてあるから、数字が目に飛び込んできます。
もちろん店内では、いろいろな食品を扱っています。ともかく軒下にずらりと野菜や果物を並べて、あきないをしているめずらしい店は、吉浦の街ではここしかありません。その店が古くからの「shopむらかみ」です。