吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
正面の山が標高196mのつばくろ山。吉浦の街並みを見守っているようです。右側に吉浦小学校の体育館、左側の山すそに吉浦八幡神社が見えます。つばくろ山は、姿かたちがよいので、吉浦富士と呼ばれています。呉市のホームページ「地域紹介 吉浦八景」によれば、つばくろ山は昔,ツバメがたくさん住みつき,飛び交っていたので,この名が付いたと紹介しています。確かに田植え前後の頃には、毎年、吉浦本町のアーケード街や、吉浦集会所、また商店や町家に巣をつくり、飛び交うツバメをよく見ます。
山頂には、小板に、山の名前と標高が記されていました。山登りをした人のやさしい配慮が伝わってきました。樹木の間から、江田島と瀬戸内海が見えました。
「国土地理院」「大切にしましょう三角点」と記した白柱と、プラス印がきざまれている三角点の花崗岩製の角柱標識(左)。方向をかえて白柱をみたら「基本測量」「三角点」と書いてありました(右)
中腹では、石の角柱に、「山」と刻まれ上の部分に赤いペンキが塗ってありました。山火事注意ということなのでしょうか。
「ヤッホー」とつばくろ山に向かって大きな声を発すれば、「ヤッホー」と、こだまになって跳ね返ってきました。それがおもしろくて、子どもは数度、大声を出していました。
魚見山のふもと吉浦潭鼓町から望む「つばくろ山」。国道31号線や14階建ての白い海上自衛隊宿舎、4階建て空色屋根の吉浦まちづくりセンターがきわだって見えました。
山頂にたつ標高127mと記された道しるべ。
呉市の吉浦八景ホームページには、魚見山が紹介されています。それによれば、<昔,山頂から,魚群の到来を監視し,漁をする仲間に伝えたといわれている山,物見山とも言う。標高178m。頂上付近の八畳岩の西端の下に、「満ち潮」の時には海水が湧き出ると言い伝えられる「潮見の穴」という岩がある>と書かれています。
魚見山からみた吉浦の街並み。右側の街なかに吉浦小学校の体育館がみえます。左側の海は吉浦湾。この魚見山の下には、二つのトンネルが通っています。ひとつは、JR呉線。もうひとつは国道31号線。魚見山は何度登っても、景観がすばらしいから、また登りたくなる山です。
吉浦八幡神社の境内からみた魚見山の全景。
吉浦は、魚見山、鉢巻山、茶臼山、つばくろ山、火山(ひやま)の五つの山に囲まれています。
吉浦五山の中で、魚見山は、吉浦小学校の校歌「魚見の山の朝明けに 登る朝日の陽を浴びて 強く正しく朗らかに 真理求めん学び舎に」で歌われています。右の白い建物は小学校の体育館。体育館には、舞台横に吉浦小学校校歌が掲額されています。
山並みの左側の少し高い所が、火山(ひやま)です。吉浦の史跡マップには、「藩の直轄地で、御建山(おたてやま)ともいわれ、官有地である。藩が必要な時だけのろしを上げたという。この山の南端・かれい崎に、<お菊のガンギ>という伝説の岩がある」と記されています。ガンギとは階段のことで、お菊岩にまつわる悲恋物語の名所。かるが浜海水浴場から磯伝いに、お菊のガンギといわれるところに行こうとしたら、海上自衛隊呉造修補給所貯油所の鉄条網が張り巡らされており、近づくことはできませんでした。
左側のうすい山並みは、江田島。吉浦池ノ浦町の高台から眺めてみました。
吉浦湾を形づくる山並みの先端が、標高109.6mの火山(ひやま)です。魚見山とおなじように、のろし台として知られています。標高は、広島県砂防課「土砂災害ポータルひろしま」の地図に、表示されていました。
吉浦の街は、五つの山に囲まれています。すなわち西側から、①火山(ひやま)連山、②つばくろ山、③茶臼山(別名・城山)、④鉢巻山、⑤魚見山。山の頂上から吉浦の市街が見渡せるのは、よしうら五山のなかで、茶臼山と魚見山です。
吉浦八幡神社の参道から見た標高285mの茶臼山。呉市の「地域紹介 吉浦八景」のホームページには、茶臼山について、写真入りで、次のように記してある。
<志蕗山城ともいう。天分24(1555)年,矢野保木城(城主野間隆実)は毛利元就に攻撃され,落城した。茶臼山城主末永弥六左衛門隆道は,志蕗山城を開城。吉浦は小早川隆景の知行地となった。(小早川氏は吉浦の水軍が欲しかったのである。)>
吉浦の町並みを見おろす山容は、どっしりして形いい。左後ろは、烏帽子岩山。山ふもとにみえる横一直線の高架は、広島市と呉市を結ぶ有料道路の「クレアライン」。
4月の山頂には、山つつじが咲いて、登山の疲れが癒された。アカマツに標高285mと記されていた。
頂上はあちこち岩があるものの、比較的平坦な広場になっているところが2、3カ所ある。
毎年元日には、山のぼりが好きな地元の有志が登頂し、ご来光を拝し、「君が代」を斉唱しつつ、日の丸を掲揚する。
朝もやの茶臼山山頂から、吉浦小学校や、吉浦運動場、吉浦まちづくりセンター、高層マンションなど吉浦の街なみと吉浦湾を一望する地元の人たち。右手前方が火山(ひやま)で、左側に魚見山の裾野が見える。海上保安大学校の先に、大麗女島がぽっかり浮かんでいるように見えた。
平成30年の7月、西日本豪雨で鉢巻山連山の一カ所に、土石流が発生。いまも生々しい爪痕がある。
鉢巻山の頂上にある基本測量の白木と、コンクリートに刻まれている三角点。
山頂には、手書きで標高だの山の名前だのが、松の大木に掲げてあった。
NHKの電波塔が、三角点から100mくらい離れたところに建っている。
倒木が、登山道をふさいでいた。
岩がゴロンと通り道に転がり出ていた。
「保健保安林」という表示板が途中にたててあった。地形図には、「呉市荘山田村」という文字がかろうじて読める。