吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
吉浦八幡神社の参道から見た標高285mの茶臼山。呉市の「地域紹介 吉浦八景」のホームページには、茶臼山について、写真入りで、次のように記してある。
<志蕗山城ともいう。天分24(1555)年,矢野保木城(城主野間隆実)は毛利元就に攻撃され,落城した。茶臼山城主末永弥六左衛門隆道は,志蕗山城を開城。吉浦は小早川隆景の知行地となった。(小早川氏は吉浦の水軍が欲しかったのである。)>
吉浦の町並みを見おろす山容は、どっしりして形いい。左後ろは、烏帽子岩山。山ふもとにみえる横一直線の高架は、広島市と呉市を結ぶ有料道路の「クレアライン」。
4月の山頂には、山つつじが咲いて、登山の疲れが癒された。アカマツに標高285mと記されていた。
頂上はあちこち岩があるものの、比較的平坦な広場になっているところが2、3カ所ある。
毎年元日には、山のぼりが好きな地元の有志が登頂し、ご来光を拝し、「君が代」を斉唱しつつ、日の丸を掲揚する。
朝もやの茶臼山山頂から、吉浦小学校や、吉浦運動場、吉浦まちづくりセンター、高層マンションなど吉浦の街なみと吉浦湾を一望する地元の人たち。右手前方が火山(ひやま)で、左側に魚見山の裾野が見える。海上保安大学校の先に、大麗女島がぽっかり浮かんでいるように見えた。
1. 城山