吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
吉浦中町の誓光寺の梵鐘は、呉市指定の有形文化財になっています。貞享5年(1688)に造られたことが、鐘に記されている古いものです。
梵鐘の説明板には、次のように記されています。
「呉市指定文化財第7号 有形文化財 誓光寺の梵鐘 昭和41(1966)年10月1日指定 梵鐘は、貞享5(1688)年、佐伯郡廿日市の山田貞栄によって鋳造されました。鐘銘には、広島の在家の道者堺屋見誉道意という人が、亡き母と思われる深誉妙意信女の菩提を弔うため、広島の長安寺へ、同寺住持の覚誉の時代にこれを寄贈したとあります。この鐘がどういう理由で誓光寺に移されたのかは不明です。鐘には、次のように記されています。諸行無常 是正滅法 生滅々己 寂滅為楽 南無阿弥陀仏 為深誉妙意信女 證大菩薩也 貞享五戊辰載 五月初五日 信心之播主堺屋 見誉道意敬白 芸州廣島 清冷山久池院 長安寺五世 成蓮社覚誉眞意 上人快翁大和尚 告貞享五歳 六月初九日 冶工 同国佐伯郡 廿日市之住 藤原山田氏貞栄」 呉市教育委員会
鐘を吊るした誓光寺の鐘楼。右側は親鸞聖人の銅像。
誓光寺では、大晦日(おおみそか=12月31日)の深夜0時をはさんで、お寺に集まった人が順番に鐘を撞きます。静寂の深夜の街なかに、除夜の鐘の響きが行き渡ります。煩悩をはらいきよめ、新しい年を実感させる除夜の鐘が鳴り響くと、耳をすませば巨大貨物船の汽笛も、聞こえるのが、吉浦の除夜です。
吉浦八幡神社の境内から一の鳥居を眺めてみると、うっそうとした樹木があります。神社を取り囲む天然記念物の社叢は、呉市の文化財に指定されています(吉浦西城町=よしうらにしじょうちょう)
八幡さまの石段を上がっていく途中に表示されている文化財の説明板。そこには、次のように記してあります。「呉市指定文化財 第21号 天然記念物 吉浦八幡神社の社叢 S43(1968)年10月1日指定。海抜約20mに当たる神社の南・東斜面は、急な崖となっており、植物が生えにくく、昔はこのあたりが、海岸線だったと考えられてます。境内には、アカマツ、クロマツ、ソメイヨシノなどが植えられており、社叢は斜面毎に異なった植生を持ち、植物の種類が、時の経過によって移り変わってきた様子(遷移)の各段階を見ることができます。もっとも大木が多い北斜面は、アラカシ、クロガネモチ、シイ、ナナメノキ、モッコク、ヤマモモなどが生え、タイミンタチバナ、ヒメユズリハ、マンリョウ、ヤツデなどの常緑低木が見られます。特に、石段の近くには、小規模ながらシイ林の極相(長期間安定した状態)が見られます。全体的に樹種が多く、古木や大木が多いところが特色です。呉市教育委員会」
神社の南・東斜面は、急な崖となっており、植物が生えにくく、このあたりが昔は海岸線だったと考えられます。
崖下には、宮川が流れており、そのそばに、「急傾斜地崩壊危険区域 吉浦八幡神社下地区」という表示板があります。
境内東側の樹木と西側の樹木。大木や古木が無数に生えています。
吉浦の魚見山のふもと吉浦潭鼓町(たんこちょう)に、荒神社跡地の石碑が建立されています。現在では、荒神社は吉浦八幡神社の境内に移転遷座されています。
潭鼓町にゆかり深い荒神社の跡地は、もう人の訪れることもなく、歴史を秘めたまま、ひっそりと石碑だけが建っています。かつては細い急坂を歩いて、ここに善男善女が参詣したことでしょうが、もう今は昔。あたりは、人家もありますが、石碑のすぐ後ろは、畑地になっていました。
方角をかえて第2公園のほうから覗いてみました。年代ものの土壁を見ていると、歴史をちょっぴり感じました。
この建物は、びっしりとツタに覆われることがあります。そんなときに見ていると、こ、これ建物なの?、史跡?と、訝しむような思いになります。
吉浦郷土史研究会の「吉浦の史跡マップ」によれば、「用所とは現在の町村役場にあたり、社倉は凶作を救うために組合で設けた備蓄米保管倉。藩制時代の建物である。明治10年~25年には、小学校として使用されたといわれている」と記され、写真も掲載紹介されています。
吉浦と焼山を結ぶ県道278号線の途中に、鍋土峠方面と鳴滝(なるたき)・烏帽子岩山方面の案内標識を目にすることができます。吉浦の観光名所のひとつ「鳴滝」の道標。
表示された道を行くと、「鳴滝」という立札があり、茂みの奥にゴツゴツした岩があり、その岩に水が流れ落ちる滝が見えました。吉浦の鳴滝(なるたき)です。
「ここは鳴滝 清らかに 鳴は滝の水」という白い文字の立て札が、道そばの近くにありました。杭には、「鳴滝」と記してあります。
鳴滝を眺めていると、気持ちよくなります。滝の水は、やがて吉浦大川に流れ込みます。
鳴滝に行く途中にある宝くじの普及宣伝事業として整備された案内板。「中国自然歩道」「烏帽子岩山ルート」と大書されたこの案内板に、鳴滝の写真と現在地の地図が記されています。
お城といえば、世界遺産であり、国宝の姫路城が浮かんできます。ほかにも由緒あるお城が各地に現存していますよね。お城の独特の建築様式には、魅力を感じます。ところで、無名で城跡だけというのであれば、わが街にだってあるんです。
吉浦中町の市道沿いに、崩壊しないように、コンクリートで固めてある小山があります。野間水軍の堀城の城跡です。史跡とはいえ、個人の所有だから、覗くことはできません。
小山のふもとには、「急傾斜地崩壊危険区域」と、怖そうな案内板が目につきました。
遠くの小高い所から眺めてみると、平坦地であることが確認できます。堀城というお屋敷があったのでしょうね。
周囲は、落下防止のために、金網で囲ってありました。