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吉浦ロマン

瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。

江戸時代の用所

  吉浦東本町の第2公園のそばに建つ「用所および社倉跡」。むかしむかしその昔は、米の保管庫であったり、小学校であったそうな。




 方角をかえて第2公園のほうから覗いてみました。年代ものの土壁を見ていると、歴史をちょっぴり感じました。



 この建物は、びっしりとツタに覆われることがあります。そんなときに見ていると、こ、これ建物なの?、史跡?と、訝しむような思いになります。



 
吉浦郷土史研究会の「吉浦の史跡マップ」によれば、「用所とは現在の町村役場にあたり、社倉は凶作を救うために組合で設けた備蓄米保管倉。藩制時代の建物である。明治10年~25年には、小学校として使用されたといわれている」と記され、写真も掲載紹介されています。

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コメント

1. 蔦に覆われた古蔵

一般公開してもらえないのが、寂しいですね。せめて、由緒ある歴史物という観点から、説明板が欲しいですよね。

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