吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
吉浦港の先に浮かぶ島がふたつあります。一つは、大麗女島(おおうるめしま)。海上自衛隊の管轄下にあり、上陸はできません。吉浦湾に4本のクレーンを装備した巨大貨物船が入ってくる珍しい光景を目にすることができました。
もう一つは、小麗女島(こうるめしま)。島の中央にローソク型の高さ11メートルの白い灯台が建っています。手前のオレンジ色の屋根はJR吉浦駅。小麗女島の手前を漁船が走り、島の向こう側には、江田島の小用港と呉港を結ぶフェリー連絡船が見え、潜水艦が浮上航行していました。これも得難い光景でした。
クレアライン沿いの吉浦天応を結ぶ市道・汐見橋6号線から、おだやかな吉浦湾を望む。左が大麗女島、右が小麗女島。
白い縦帆をはためかせて、波おだやかな海面をすべるように、なめらかに動くのは、海のスポーツを楽しむ5艇の帆走ヨット。ローソクのような灯台のある小麗女島と吉浦の間を、セーリングのヨットがさわやかに浮かんでいました。むこうの山並みは、江田島。
呉市の吉浦漁港の最西端に、吉浦ヨットハーバー「夕凪シーサイド広場」があるのを知ってますか。赤いベンチに坐って、瀬戸内海に浮かぶ大麗男島、小麗女島、茫洋と霞んで見える倉橋島、能美島、江田島、また行き交う貨物船を眺めていると、心が和んできます。ああ、青春。吉浦のロマンが、ここにも満ちています。赤いベンチの目の前の屋外囲炉裏には、薪を焚き上げて黒々になった大きなヤカンがかけてありました。目の前のヨットハーバーには、「夕凪」号のヨットが係留されています。なかなかの風情ある趣と感じました。
道のすぐそばには、赤い大理石に、広島県立呉宮原高等学校のヨット部創立50周年記念のモニュメントが建っています。ここは、海上自衛隊呉造修補給所貯油所の正門のすぐ近く。交通量が少なく、静かな一角。隠れた名所ともいえる「吉浦西舟溜り」。いつまでも佇んでいたくなります。
夕凪シーサイド広場の近くには、純白の9艇のヨットが格納されています。
広場の片隅には、ヨットに関するモニュメントがあります。旗を掲げるポールなんでしょうか、それともヨットの帆柱なんでしょうかね。白いドラム缶風の樽や、黒い錨も見ることができます。
こじんまりした瀟洒な建物には、「呉宮原高校ヨット部艇庫」の表札が掲げてあり、味わいのある木製扉や出窓のデザイン、赤い救命具などに、海のロマンを感じます。
吉浦から瀬戸内海を挟んだ江田島・秋月(あきづき)の米陸軍秋月弾薬庫が見えるのだから、その近くから吉浦だって見えるはずと、車で呉市と倉橋島をつなぐ音戸大橋を渡り、倉橋島と江田島をつなぐ早瀬大橋を渡りました。小用港へ向かう途中に、「しびれ峠」があります。この峠に佇むと、茫洋とかすむ吉浦が見えました。背後の山は、鉢巻山ですね。その後ろの山は、灰が峰ですねよね。
吉浦の方向には杭が邪魔して、しっかりとは見えませなんだ。
しびれ峠の大理石に、「広島方向」「天応方向」「吉浦方向」「呉方向」「石川島播磨」「日新製鋼」「音戸方向」「早瀬大橋」という8カ所の方向が青い矢印で記されていました。
江田島・小用港から呉港行きのフェリーに乗り、海上から吉浦を見ました。吉浦の外から、あれこれ思いながら吉浦を眺めるのも、楽しいものだと思いました。
呉市と広島市を結ぶ国道31号線に、ドライブインのあるのが、呉市吉浦町池田です。天ぷら定食、ラーメン、うどんを扱う店があり、無料トイレ、自動販売機もととのっています。このドライブインから、夕方は、眼前の江田島に夕日が沈む景色を見ることができます。「夕焼け小焼けで日が暮れて・・・」と、口ずさみたくなるムードがただよいます。夕日に、キラキラと瀬戸内海がひかり、カキいかだの浮かぶ夕日の名スポット。ロマンチックな風情を堪能しました。
日章旗と旭日旗を掲げた潜水艦が、吉浦と江田島の間を、浮上して航行しました。呉に潜水艦の基地があるから、その雄々しい姿はよく見かけます。白い波しぶきをあげて突っ走る光景は、何度みても見飽きません。
潜水艦が好きなものだから、ゆめタウンで買い物のついでに、海上自衛隊呉史料館・鉄のくじら館「あきしお」艦内に、何度か入りました。潜望鏡で江田島や船を見るのを楽しみにしています。呉の潜水艦基地にも、係留している潜水艦を見にいくことがあります。潜水艦って、ひきつける魅力がありますよね。