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吉浦ロマン

瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。

社叢の巫女舞い

 

こんもり茂った吉浦八幡神社の社叢では、春四月の第二日曜日に、御霊(みたま)なごめの慰霊祭が行われます。神社の祭主が祝詞を奏上し、参列者は敬虔な慰霊の誠を捧げます。2020年は新型コロナウイルス感染防止のため、中止になりました。(吉浦西城町で)

 

 

忠魂碑のまえでは、町民が集うなか、古式ゆかしく厳かに舞いを奉納する巫女。

 

 


巫女舞いによる御霊(みたま)なごめは、かつての戦争で散華した英霊をやさしく鎮めます。

 

 

中央の忠魂碑は、1956年(昭和31年)10月に建立されました。碑の裏には、満州事変(昭和6年~昭和8年)と、大東亜戦争(昭和16年~昭和20年)の戦病死者396名の名前が刻まれています。左の石碑は、1906年(明治39年)4月に建立された凱旋記念碑。日露戦争凱旋者95名、日露戦争時の留守師団服役者18名、北清事変凱旋者38名、日清戦争凱旋者16名の名前が刻まれています。右側の石碑は、凱旋紀念碑と同時に建立された戦病死者紀念碑。日露戦争戦死者6名、清国事変戦病死者2名、台湾守備病死者1名、日清戦争病死者2名の名前が刻んであります。

 

 

                  
町内の自治会の掲示板に貼られた戦没者慰霊祭の案内ポスター。

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コメント

1. 吉浦の慰霊祭

あの慰霊碑が建立されなければ、フィリッピンのマンラカダン山で散華した叔父の御霊は、吉浦の歴史から消えて、わすれられてしまうことでしょう。それだけに、英霊を祀るために、慰霊碑を建立した発起人に感謝したい。

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