吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
白い柱のように見えるが、これは1894~1895年の日清戦争の時のめずらしい砲弾。吉浦八幡神社の境内に献納されている。「明治廿七八年之役依清国威圧海衛戦沈之際収容タル砲艦十尹前装砲榴弾紀念之為俸置ス 明治廿九年(1896年)八月」と刻まれている。
献納されてからの最初の砲弾は、年月を経るほどに風化し、錆びて、文字が判読できなくなった。台座には鉄サビが沁み込み、幾星霜の歴史を物語っていた。
吉浦八幡神社の手水舎。銅板で葺いた屋根、四方転びの檜の太い柱。どっしりとした何とも気持ちのよい手水舎であると感じた。
境内の一角には、鎮座地、御祭神、由緒、祭日が記されている。
さらに八幡神社の奥の境内には、摂末社が六社(厳島神社、金比羅社、荒神社、大歳神社、東浜神社、角丸神社)ある。これら六社は、明治時代より呉市を軍港として開くにあたり、国策により、各地区に存在していた神社を、すべて境内地に移転されたものである。
1. 八幡神社の御朱印