吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
かつての時代には、軍需物資とか軍需工場とか、軍需産業っていう言葉や単語が、よく使われました。いまもその名称が、JR呉線の吉浦駅近くの踏切に残っています。「旧軍儒部踏切」。国道31号線からこの踏切を渡って行くと、海上自衛隊呉造修補給所貯油所があります。旧軍需部のゆえんです。
よくよくこの踏切の名称をみると、軍需の「需」の字が、「儒」になっています。こんな単語というか熟語は、世の中にはありません。どうしてこんなになったのか。珍名物踏切と思いました。
「非常の際は上のボタンをもどらなくなるまでつよく押して下さい」と踏切のそばに非常用ボタンが設置されています。その説明板には、「旧軍需部踏切」と記してありました。「儒」でなく、「需」でした。この使い方が正しい。
線路脇の大きな柱には、縦書きで、「旧軍需部踏切」と正しく書いてありました。
1. 字の間違いなぜ直さぬ