吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
吉浦の「とんど」は、例年1月の第三日曜日におこなわれます。令和5年(2023年)の吉浦「とんど」(画像)は、1月15日に、吉浦西城町のグラウンドで催されました。やぐらを組んで、お飾りや書き初め、お札など、もう使わなくなったものを、天にお返ししました。燃えたあとは、餅を焼いて食べました。
書き初めが徐々に燃えあがりました。右の奥には、消防車が2台待機しました。
神官の祝詞奏上 ボーイスカウトが風上の左から点火
正月のお飾り燃やす「とんど」二基。天に舞い上がる炎の神事。呉市吉浦西城町の運動場で、とんど焼納祭がおこなわれました。
新型コロナウイルスの感染が、去年の今頃から拡大し、パンデミックだの、クラスターだのと騒然たる世相を醸しており、感染の脅威は一向に衰えていません。こうした中で、コロナ禍の収束の願いもこめた「とんど」がおこなわれました。運動場には二基の「とんど」のやぐらが立てられました。
令和3年の焼納祭(とんど)のチラシ。
吉浦八幡神社では、新年行事として、1月の第三日曜日に、吉浦運動場で焼納祭が行われます。つまり、「とんど」です。お正月に使った門松やしめ縄、古い御札、書き初めなどを竹のやぐらに置いて、火をつけます。炎が天に届く火の祭りです(吉浦西城町)。
1月の第三日曜日に、「とんど」のあることが、町内自治会の掲示板に貼り出されました。
「とんど」では、まずは、神主によって、つつがなき新年の家内安全と、意義深い神の守護と感謝を捧げる祝詞が奏上されます。
二基のやぐらが組まれ、神主さんが見守るなか、メラメラと勢いよく火が舞い上がります。
「とんど」の高さはどれくらいと思いますか? 背丈約1.7mの男の人が三人みえますよね。その三倍はあるでしょうから、ま、高さ10数メートルのやぐらと思われます。消防車も待機します。
書き初めには、「出発感謝出発」「協力」という文字が読めます。
二基のやぐらが、焼け落ちていく光景に、手を合わせたくなります。
すっかり焼け落ちると、竹竿につけたアルミホイルで包んだお餅を焼きに行きます。
熱いから、火のそばに近づくと、体があぶられるようで、熱くて、熱くて…。これが、またいいんですよね。人によっては、サツマイモを持参して、火の中にいれます。
「とんど」では、青竹をスパッと切った筒にお酒を入れてもらい、グイッとご神酒をいただきます。も、もちろん無料です。
吉浦八幡神社の境内では、吉浦女性会による甘酒がふるまわれます。体があたたまります。もう、感謝しかありませんね。甘酒で胃袋がほんわかとなり、「とんど」で体があたたまり、さらにご神酒で体が燃え、新しい年の「とんど焼納祭」が、体に意義深く染みわたります。