吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
古きを訪ね新しきを知る温故知新という言葉があるように、ルーツをたどり今昔を較べるのは楽しいことです。
吉浦中学校PTA写真集「吉浦の歩み」(平成9年4月21日)発行に掲載されている「吉浦村絵図」を見ていると、興味が尽きません。この絵図は、天保10(1839)年以降、同13年までの絵図と推定されるそうな。北に「焼山境」、東に「庄村境」、西に「か連い崎」、南に「魚見山」とあり、絵図をクルクル回してみました。城山(茶臼山)の周辺には、光寂寺など三つのお寺があったことがわかりました。
吉浦中学校創立50周年記念に刊行された写真集「吉浦の歩み」の表紙。①風景と街並み、②世相の推移、③経済の発達、④交通、⑤教育と文化、⑥社会、⑦趣味・娯楽・遊び、⑧夏の思い出・狩留賀、⑨吉浦中今昔物語、⑩沿革、⑪年表、とわかりやすく吉浦を紹介しています。
あの絵図の天保10年から181年を経たいま、吉浦の高台から南の瀬戸内海側を眺めてみました。「吉浦の歩み」の<沿革>の項に、「吉浦町においては、弥生式土器の破片や昭和5(1930)年と翌6年、磨製石斧1個ずつが発見されている」と解説されています。ならば吉浦には2000年前から人が住んでいた・・・、と壮大なロマンを思わずにはおれません。
1. 中学校の写真集