吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
トラック、乗用車、バス、タクシー、バイク、パトカー、救急車、消防車、さらには地元の人などが、国道31号線にあるこの「吉浦隧道」を往来します。トンネルの長さ283.4メートル。幅員6.80m。広島・海田方面から吉浦の街に入る狩留賀町側からのトンネル光景。このトンネルを抜ければ、ロマンあふれる吉浦の街に入ります。
格調ある書体で「吉浦隧道」と記してあります。いまでは、隧道なんて呼びません。トンネルと表現しますよね。古き時代は隧道というのが、あたりまえのことでした。「昭和九年五月」と「吉浦隧道」のそばに刻してあります。
このトンネル入り口には、非常用施設として「押しボタン発信器(事故と火災)」、「非常電話」「消火器」が設置してあります、という説明板。
トンネル内にある非常通報装置の「事故」の押しボタンと、「火災」の押しボタン。あわてずに使い分けをすることになっています。ボタンを押せば、赤ランプが点滅し、関係機関に自動通報するということですよね。右側には、消火器が格納されているようです。
トンネルの中に設置されている非常電話。把手を開けると、話せるようになっています。
トンネルの外にも、非常電話が設置されています。吉浦側から狩留賀方面に向かう光景。
1. 吉浦トンネル