吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
神賀川の上流一帯には、市や寺の管理する墓苑があります。川に流れ出た「倶會一處(くえいっしょ)」と刻まれた文字の墓石をみました。(吉浦新出町で)
神賀川の石組みの川底にとどまる石灯篭の笠。上流の川底のあちこちに、墓石や墓碑が流れていました。お骨も流されたことだでしょう。悲しい。
大雨により、家の前に積みあがった泥と瓦礫(吉浦新出町)
泥流に埋まった軽自動車。後部ウインドーのガラスがなかった(吉浦新出町で)
巨大な岩石。どのようにしてここに流れ出てきたのだろう。どこにあった巨石なのだろう。ともかく、家をなぎ倒し、尊い人命も奪った雨の凄さが分かります。右側の瓦礫の中にも、大きな岩石がうずまっていました。2年たったいまでは、墓地は平地に、崩れた家は撤去されています。