吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
「しょうりはし」と木製の銘板が埋め込まれていました。彫刻刀で彫ったのでしょうか。もう風化して、首を曲げたり、近づいたりして、やっと判読できました。コンクリートの欄干のデザインを摸してある、上が円形、下が水平切り、縁どりがほどこしてある手作りのような楽しい木製銘板と思いながら見つめました。
もう一方の橋の親柱には、「昭和二十八年三月竣功」と刻んでありました。木目を見ていると、風雪に耐えた長い歳月がにじんでいることが伝わってきました。
時代小説ものに、藤沢周平さんの「橋ものがたり」という短編小説(10篇)がありますよね。橋で会う約束やすれ違い、出会い、通行などから起こる人情もの、世話もののドラマに、ついホロリとさせられます。この勝利橋でも、さまざまなできごとがあることでしょう。さて、頑丈な橋を渡って、もう少し散歩してみましょう。向こうの山は、魚見山。
1. 勝利の名