吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
今から1万6千年前頃というと、この地上では、どんなことがあったのでしょうね。縄文時代とか、弥生時代(やよいじだい)のことです。この呼称は、日本列島における時代区分の一つなんですね。紀元前10世紀頃から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称が、弥生時代。その頃に、吉浦で生活が営まれたことを示す貴重な石器が出土しています。
呉市吉浦東本町の吉浦まちづくりセンター2階の常設ウインドーには、吉浦で発見された弥生式石器の出土品が無料展示されています。これはもう、必見の値打ちがありますよね。
吉浦東本町で出土した弥生石器の磨製石斧と説明文(吉浦まちづくりセンターで常設公開)。こうしてみると、太古から呉の吉浦は、住みやすい所であったことが想像できます。はるかなるロマンの町であることが、弥生式石器から伝わってきます。
吉浦中町で出土した石斧(吉浦まちづくりセンターで常設公開)。
弥生石器が展示されている吉浦市民センター(吉浦まちづくりセンター)
平成14年発行の呉市制100周年記念版「呉の歴史」。
巻末の呉の歴史略年表に吉浦東本町と吉浦中町から、
弥生時代に、石器が出土したことが記されています。