吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
6月10日は時の記念日。日本で初めて時計装置が使われた日を記念して制定されたんですってね。この日を前後して咲く花が時計草。吉浦中町の吉浦小学校の北面通りを歩いていると、時計を連想させる時計草(トケイソウ)が咲いていました。
緑の葉茂る生け垣には、次から次へと時計草が咲くので、毎年6月になると、この散歩コースが楽しみになります。右側の3階建ては、吉浦小学校の校舎。
花の姿というか形が、まさに時計の文字盤に似ていますね。長針、短針、秒針のように見えるから、ついつい、みとれてしまいます。
時計草がほっこりと咲く生け垣を通り過ぎて、足をとめ、ふり返ってみました。青と白と紫の模様が味わい深いですね。
蕾があちこちにあるから、当分は散歩しながら時計草を愛でることができます。
J R吉浦駅に、マルチプル・タイ・タンパー (Multiple Tie Tamper)というオーストリア製の重装備の珍しい車両がやってきました。鉄道の保線用機械の一種です。つまり、タンピング(砂利のつきつき固め)、レベリング(線路の高さの調整)、ライニング(線路の曲がりの修正)を一度に行う大型機械です。
オーストリアの線路工事用重機メーカーの「プラッサー&トイラー」は、英字で記してありました。
牽引されているレールの高低と直線のゆがみ具合を調査する検測車。
最後尾に連結してあるダンピング(砂利のつき固め)、バラスト・コンパクター(砂利の締め固め)を行う作業車。
ワンセットで連結のマルチプル・タイ・タンパーという先頭車両と、それに続く検測車と作業車
先陣をきってお旅所に着いた東町奉賛会の威勢のいい「ちょうさい」(吉浦新町で)
一区自治会・魚見会の「獅子舞い」
魚見会稚児による華やかな「花笠おどり」。この場で、鬼が出てきて獅子を退治する舞いが圧巻。
地酒「水龍」の酒樽にワタリガニが乗っかった二区自治会の「御神酒みこし」。
時折、口からすさまじい白煙を吐きながら進む四区自治会・神龍保存会の「神龍みこし」。
宮花自治会の「御船みこし」。
カニ祭りでお旅所に渡御する「吉浦八幡神社の神輿」。担ぐのは、海上保安大学校の大学生。その後を神主、巫女などが続く。この「神社神輿」のために、お旅所が賑う。すべてのおみこしや、鉦笛太鼓、花笠踊り・獅子舞い・ばくろうのお旅所披露は、「神社神輿」を奉祝するためにあるのです。
「神社神輿」が据えられると、お旅所は荘厳な雰囲気につつまれます。
宮西自治会の6俵をかたどった「御蔵米みこし」。
地酒・水龍の酒樽をのせた10区の「御神酒みこし」。
10俵を乗せた本町自治会の「御蔵米みこし」。
東上祭礼委員会の笛太鼓がしずしずと進む。「神社神輿」のまえで、威勢のよい太鼓と笛の音を響かす。
八区自治会・松葉青年会の「鉦と笛と太鼓」。このあとの暴れ太鼓は目をみはるものがあります。
五区自治会の笛太鼓の列が、「神社神輿」に向かってすすむ。
吉浦の街は、16の地域から成り立っています。郵便番号簿にも、①池ノ浦町、②岩神町、③上城町、④神賀町、⑤新出町、⑥新町、⑦潭鼓町、⑧中町、⑨西城町、⑩東本町、⑪東町、⑫本町、⑬松葉町、⑭宮花町、⑮乙廻り、⑯その他、とあります。地域名の上には「吉浦」という名が冠してあり、吉浦駅だの吉浦支所だの、吉浦小学校、吉浦交番、吉浦郵便局、吉浦大川というように、「吉浦」を使っているのをよく見かけます。
「吉浦橋」もそのひとつ。国道31号線を支え、街の名前をつけた橋です。橋の端にある親柱には、「吉浦橋」と刻まれています。この橋の下を、吉浦大川が流れています。
もう片方の橋には、平仮名で「よしうらはし」。
橋の名前を記した反対側の親柱には、「昭和16年3月竣工」と記してありました。その年には、日本軍がハワイ真珠湾を空襲した年ですよね。つまりは太平洋戦争の開始になった歴史に残る年なんですね。広島県呉市吉浦にあるこの「吉浦橋」を、今までにどれくらいの人や車が通ったことでしょう。国道の奥に見える山は、魚見山です。
海側から眺めた吉浦大川に架かる吉浦橋。向こうの奥の山裾は茶臼山。
呉市の吉浦漁港の最西端に、吉浦ヨットハーバー「夕凪シーサイド広場」があるのを知ってますか。赤いベンチに坐って、瀬戸内海に浮かぶ大麗男島、小麗女島、茫洋と霞んで見える倉橋島、能美島、江田島、また行き交う貨物船を眺めていると、心が和んできます。ああ、青春。吉浦のロマンが、ここにも満ちています。赤いベンチの目の前の屋外囲炉裏には、薪を焚き上げて黒々になった大きなヤカンがかけてありました。目の前のヨットハーバーには、「夕凪」号のヨットが係留されています。なかなかの風情ある趣と感じました。
道のすぐそばには、赤い大理石に、広島県立呉宮原高等学校のヨット部創立50周年記念のモニュメントが建っています。ここは、海上自衛隊呉造修補給所貯油所の正門のすぐ近く。交通量が少なく、静かな一角。隠れた名所ともいえる「吉浦西舟溜り」。いつまでも佇んでいたくなります。
夕凪シーサイド広場の近くには、純白の9艇のヨットが格納されています。
広場の片隅には、ヨットに関するモニュメントがあります。旗を掲げるポールなんでしょうか、それともヨットの帆柱なんでしょうかね。白いドラム缶風の樽や、黒い錨も見ることができます。
こじんまりした瀟洒な建物には、「呉宮原高校ヨット部艇庫」の表札が掲げてあり、味わいのある木製扉や出窓のデザイン、赤い救命具などに、海のロマンを感じます。
吉浦新出町の傾斜を流れる宇根川。川の表示板は、かなり錆びついていました。まだ判読できますが、数年したら、作り直してもらわなくては、と思いながら、表示板の文字を読んでみました。「土石流の発生する恐れがありますので・・・」。はあ、だから危険渓流なんだ、と納得しました。
この宇根川は神賀川へと注ぎこみます。細い川沿いの道から、おっこちないように、ガード柵やガードレールがついています。
絵解き地図のような「砂防指定地 宇根川」の表示板。現在地が中央に白っぽく示してあるのが、ようやく分かります。絵図を見れば、この川の左には、砂防ダムが数カ所あるようです。いや、砂防ダムではなくて、橋かな。川を辿ってたしかめなくては。こういう表示板をみて、川を探訪するのは、楽しいことです。吉浦の街なかを流れる12本の川巡りのおもしろさ。
宇根川沿いの町家の庭に、屯田兵のような門兵の大きな男性ブロンズ像が立っていました。笠帽をかぶりアゴひもでむすび、詰め襟、七つボタンの制服、地下足袋と草鞋を履き、横腹に手を当て、顔を上向きにして遠くを見つめているオブジェ。いつか、お家の人にいわれを聞いてみようと思いました。
新型コロナウイルスの感染防止策で、地元の呉市立吉浦小学校は、分割授業でしたが、6月1日から正常授業になりました。親御さんは、ホッと胸をなでおろしていることでしょう。山の手に近い吉浦の奥の坂道を下り、ランドセルを背に、交通安全の黄色い帽子をかぶる児童たちが、元気よく登校していました。友だちと通学路を歩き、登校する姿は、ほのぼとします。
吉浦から瀬戸内海を挟んだ江田島・秋月(あきづき)の米陸軍秋月弾薬庫が見えるのだから、その近くから吉浦だって見えるはずと、車で呉市と倉橋島をつなぐ音戸大橋を渡り、倉橋島と江田島をつなぐ早瀬大橋を渡りました。小用港へ向かう途中に、「しびれ峠」があります。この峠に佇むと、茫洋とかすむ吉浦が見えました。背後の山は、鉢巻山ですね。その後ろの山は、灰が峰ですねよね。
吉浦の方向には杭が邪魔して、しっかりとは見えませなんだ。
しびれ峠の大理石に、「広島方向」「天応方向」「吉浦方向」「呉方向」「石川島播磨」「日新製鋼」「音戸方向」「早瀬大橋」という8カ所の方向が青い矢印で記されていました。
江田島・小用港から呉港行きのフェリーに乗り、海上から吉浦を見ました。吉浦の外から、あれこれ思いながら吉浦を眺めるのも、楽しいものだと思いました。
呉市の吉浦松葉町に、観音堂があります。ちょっと入り込んだ個人のお庭にあるから、入りずらいようですけど、出入りや参詣は自由にできるのです。ベンチも置いてあり、腰かけて、心ゆくまでゆっくりできるところです。細道坂道まがり道を迷わず辿りつけば、松葉の十一面観音さまが迎えてくださいます。(吉浦松葉町で)
廣寂寺観音堂という墨書の立板。正式名称なんて知らない人が多いのではないでしょうか。「吉浦の昔ばなし集」に、観音堂の庭一面にドングリの実が落ちる頃、<どんぐり祭り>をしたという話がでてくるのは、この松葉の観音堂のことです。
旧暦9月17日には、提灯、ノボリ、日の丸が掲げられ、観音祭りが行われます。誓光寺のお坊様がみえてお経を唱え、お話が聞けます。
細道がふたまたに分岐する民家の石垣そばに、観音堂への目印があります。矢じるしの方向へ歩いていけば、ほどなく観音堂に着きます。
10月の第一日曜日は、呉市の吉浦八幡神社の例大祭。地元では、このお祭り日を吉浦カニ祭りと呼んで、日曜日前後の三日間奉祝します。JR吉浦駅の海側広場には、自治会の色とりどりの幟(のぼり)がはためきます。第一日曜日の午後3時頃から、この幟のたつ吉浦新町の広い道路がお旅所となり、神社から渡御した神社神輿のお供をする「ちょうさい」というだんじりをはじめ、神龍、米俵、酒樽、御船など趣向を凝らしたみこし、それに笛太鼓の列、花笠踊り、獅子舞い、ばくろう、鬼・天狗で賑います。(吉浦新町で)
吉浦八幡神社の一の鳥居。ここから103段の石段をみこし担いで、宮上がり、宮下がりをします。(吉浦西城町で)
岩西自治会の御蔵米みこしで、俵みこしと呼び親しまれています。6俵をかつぐ男衆の威勢のよい掛け声で、町内を練り歩いて境内にやってきました。(吉浦西城町)
米俵のみこしは、もうひとつあります。10区自治会の俵みこしです。こちらは、10俵の御蔵米をかつぎます。みこしを見ているだけで、勇気がわき、活力がみなぎってきます。(吉浦西城町)
吉浦上城町と吉浦松葉町の間の坂道を散歩しました。晴れ渡った青空を見上げれば、風見鶏が気持ちよさそうに唄ってるようにみえました。あのニワトリは、白色レグホンかなあ。その下には、矢があり、先端のやじりと反対側の矢羽は、とてもユニークで楽しいデザイン。さらにその下には、W、E、S、N、という英文字の四方位。風向計を型どっているんですね。
風見鶏の風向計だけど、警戒心が強い雄鳥の習性から、魔除けの意味があるなどと思いながら、通り過ぎてまた引き返して見上げたり、ああ、首がだるくなりました。
風見鶏は、白い円柱に赤茶色のトンガリ屋根の上についていました。ムーミン谷のようなメルヘンを感じました(吉浦上城町)
吉浦の細道、坂道、曲がり道を散歩すると、オヤッと思う光景に目をひかれることがあります。風見鶏のある坂道もそのひとつ。こういう出会いが散歩の醍醐味です。この道も通りゃんせ。
吉浦・神賀川の上流に、コンクリートづくりの赤木橋が架かっています。神賀川には、無名の橋や名前のついた神賀橋など数多い橋を見ることができますが、この赤木橋は親柱に白い大理石をはめて、橋の名前が記されています。橋の表札ともいうべき親柱の両端四カ所に、大理石を使ってあるのは、吉浦ではこの赤木橋だけです。珍しいというか、手の込んだつくりに、橋をつくった心意気を感じました。この橋を通って山の方向に進むと、二年前夏の集中豪雨で、土砂崩れで墓も骨も流れ去ったあの谷間に向かいます(吉浦新出町で)
幾星霜も風雪に耐えているのでしょう、親柱が傷んでいました。平仮名で「あかきはし」と橋の名前を刻んだ大理石も、上のあたりが黒っぽくなっていました。
上城町の山の手に設置されている土石流危険渓流と記された「宮川」の表示板。
宮川の第一および第二支川の絵入り表示板。すぐ近くに、桜の名所で知られる上城公園があります。
中流あたりの宮川には、土砂崩れが起きないように、丈夫な鉄骨が何本も仕組んであるところが目につきました。
広島市内と呉市内を結ぶ国道31号線の下を、宮川が流れています。交差点の信号機に、「宮川橋」と、川の名前が示してありました。
宮川の河口あたりには、白い廃車バスがありました。昔は、ここが広場になっており、呉駅から来たバスはここで方向転換し、呉駅へ折り返したことを、近くの古老から聞きました。吉浦カニ祭りの太鼓などが入れてある廃車バスの下から、JR呉線の下をくぐり、吉浦湾へと宮川は流れ込みます。向こうの14階建ての高層ビルは、自衛隊宿舎。
吉浦八幡神社のそばを流れる宮川沿いには、夏になるとザクロの実る光景が楽しめます。
都会では、電話線や電線などを地中に施し、電信柱なるものを撤去し、さわやかな道路景観を感じることがあります。吉浦では、細い路地があちこちにあり、電信柱をすこしでも道の端に寄せて、通行の便宜をはかるという工夫があります。白壁に添うように電信柱が立てられ、屋根に突き当たる前に曲げるという面白さ。知恵を絞ったというか、知恵をいかしたやり方…。そういえば、ガードレールを支える柱や、カーブミラーの柱も曲げて立てられているのも、よく目にします(吉浦東本町で)
下から見上げてみると、まっすぐな電信柱のようですが、上のほうでカーブしているのです。柱には、「NTT 東本町」という表示板がついていました。
JR吉浦駅前を走る国道31号線脇の歩道を歩いていました。と、軒下に、「土居旅館」と横書きした大きな木製の看板が掲げてありました。ああ、ここは旅館だったんだと、ひとり頷きました。看板の名前の下には、目立つ白文字で、「電 吉浦五八番」と記してあり、前時代的な印象を受けました。局番なしの電話番号は、今ではもう通用しません。わが街吉浦には、ビジネスホテルやファッションホテルが現存しますが、段々と宿泊施設は少なくなってしまいました。散歩していると、かつてははなやぎ、にぎわったことを連想させる看板だの建物も見ることができ、関心が湧き、興味を覚えます。「土居旅館」の昭和レトロな看板を見上げて、わが街の名物?遺物? と思ったことでした。
国道側面の駅前歩道は、民家がならんでいます。きょろきょろしないで、すたすたとまっすぐ歩けば、「土居旅館」という看板にはお目にかかれません。ぶ~らり、じろじろと、のんびりガラス戸や軒下を見て歩くことで、旅館の大看板が、この民家の軒下にあることを知ったのでした。吉浦のロマンは、こういうところにもあるんですね。だから、散歩って、たのしい。
羽織や袴、土蔵やちょうちん、墓石などに、紋章といえばよいのか、紋所というのか、定紋というのか、ま、こういうのを総称して、家紋といったらよいのでしょうかね。ネクタイ、風呂敷、指輪などにも、家紋があしらわれているのを見かけることがありますよね。
吉浦中町の路地を散策していると、白壁土蔵の上のほうに、帆掛け船の図案がついていました。家紋って、いわれがあるんでしょうね。帆掛け船をみていると、色んなことを想像して、楽しくなりました。
土蔵の帆掛け船の紋章を見ているうちに、吉浦にはあちこちに土蔵があるから、土蔵にはどんな家紋がついているのか、散策していると、ついつい土蔵を注意して見上げるのがクセになりました。
「しょうりはし」と木製の銘板が埋め込まれていました。彫刻刀で彫ったのでしょうか。もう風化して、首を曲げたり、近づいたりして、やっと判読できました。コンクリートの欄干のデザインを摸してある、上が円形、下が水平切り、縁どりがほどこしてある手作りのような楽しい木製銘板と思いながら見つめました。
もう一方の橋の親柱には、「昭和二十八年三月竣功」と刻んでありました。木目を見ていると、風雪に耐えた長い歳月がにじんでいることが伝わってきました。
時代小説ものに、藤沢周平さんの「橋ものがたり」という短編小説(10篇)がありますよね。橋で会う約束やすれ違い、出会い、通行などから起こる人情もの、世話もののドラマに、ついホロリとさせられます。この勝利橋でも、さまざまなできごとがあることでしょう。さて、頑丈な橋を渡って、もう少し散歩してみましょう。向こうの山は、魚見山。
波おだやかな吉浦湾をはじめ瀬戸内海では、ワタリガニがよく獲れたそうな。旬は、もっぱら晩秋から春。ワタリガニの大漁・豊漁に感謝を捧げることが、そもそもの吉浦八幡神社におけるカニ祭りの発祥になったということなんですって。吉浦の食品スーパーや、ゆめタウンの鮮魚コーナーでは、秋になると、ワタリガニがわんさと並びます。しおゆでにしたり、蒸しガニで食べたり、みそ汁に入れたり・・・と、料理法は多彩。黄褐色の横長で六角形のような甲羅には、白い水玉模様があり、ハサミや脚は青みがかっていますね。
青銅のゆるやかな屋根が気持ちいい吉浦八幡神社の奥宮。人は本殿とも本堂とも呼びあがめています。日ごろの参詣をはじめ、ボーイスカウトの行事や巫女舞いの練習、とんどまつり、慰霊祭など、町民の暮らしに深くつながっていますが、なかでも賑うのが吉浦カニ祭り。毎年10月第一日曜日の例大祭をはさんだ三日間は、街をあげての奉祝祭礼となります。(吉浦西城町)
吉浦カニ祭りには、だんじりやいろんなお神輿が繰り出ますが、太鼓、笛、鉦の鳴り物は、荘厳で威勢のよい音が、境内いっぱいに響きます。
一の大鳥居まえに集まった吉浦カニ祭り参詣の善男善女。ここから、百十数段の石段をお神輿や太鼓の列が上がりくだりします。
JR呉線の吉浦駅は、電車を走らすあの長いレールを使った珍しい建築作品であることが、プラットホームに立つと分かります。垂直な二本のレール柱を二カ所曲げて、屋根を支えています。レール作品の妙味が伝わってきますよね。これはもう、芸術遺産だなあ。
跨線橋を支える柱も、階段を支える柱も、すべてあの長~いレール。じっくりみるほどに、楽しくなってきます。
吉浦駅の跨線橋は、レールを使ってできているんですね。レール考古館ともいえるシロモノと思いました。
JR呉線の吉浦駅は、歴史の深みを感じさせるお宝駅といえます。
吉浦町内の音楽好きな人に聴いてもらいたくて・・・と、広島音楽大学のおねえさん四人が、吉浦まちづくりセンターでコンサートを催してくれたことがあります。2つのバイオリンとヴィオラにチェロという4つの弦楽器が奏でる室内楽の調べに、うっとりしたことでした。弦楽四重奏によるヴィヴァルディの「四季」をはじめとする名曲、新曲のアルバム。むろん無料で聴けたのですから、何か得をしたようで、日常生活に安らぎを入れてもらえました。
オーケストラではなんだか大げさだし、と言ってピアノ曲では何か物足りない…そんなときに室内楽の魅力・弦楽四重奏でもてなしてもらえたのは、おおきな歓びでした。演奏の合間には、楽器の説明もあり、どんな音がするかなど、楽しい解説もしてもらえました。
令和2年は、のっけから新型コロナウイルスの感染防止策のために、コンサートや文化祭、そのほかいろんなイベントが、軒並み中止になって寂しい思いをしますが、感染が収束したら、また心を潤す室内楽をしてもらいたいものです。弦楽四重奏を奏でたくれた四人のおねえさんに、地元の幼な子たちが、「また聴かせてくださいね」と、感謝と願いの花束を手渡しました。
趣のある看板に出会ったのは、吉浦東本町の道路を歩いていた時です。「ひちや」の看板のことです。上には、マルの中に「質」と書いてありますが、これは下に平仮名で大書してあるように、あきらかに「ひち」。ワードやエクセルで、「ひち」と叩いても、質の字も、七の字も出ません。質とか七を、「ひち」と言うのは、方言だということなんですね。かくれんぼをしている子らの数え方を聞いていても、大概は、「イチ、ニイ、サン・・・ヒチ」と言ってますよね。ということで、なつかしの「ひちや」看板の前にしばらく佇みました。
吉浦には、「松田ひちや」というお店はもうありません。看板だけが、「親切丁寧」という人情味と、「古着高価買受 大口歓迎」という主なる扱い内容を物語っていました。電話の3という局番も、吉浦には、もうありません。先だって配布された「呉市吉浦・天応地区テレパル50」の企業リストでも見当たりません。この看板を見ていると、ひちやの時代背景が感じられ、昭和の名残を感じました。
呉市吉浦宮花町を流れる宮花川。上流では、コンクリートでしっかり固めてあり、土砂災害に備えた造りです。宮花川には、5種類の表示板があります。この「砂防指定地 宮花川」がひとつ目。
中流には、頑丈な砂防ダムがあり、「砂防指定地 宮花川砂防ダム」の表示板は、湿気のためにカビがはえたようで風化がはげしく、判読しずらい。これがふたつ目の表示板。
町家沿いの生活道路と、崖がわの遊歩道が、川を挟んでいます。宮花川を散歩するのが楽しくなります。
土石流が発生するおそれがあると記されている三つ目の「砂防指定地・山腹崩壊危険地区・土石流危険渓流 宮花川」の表示板。危険の文字がふたつも記されているこの表示板も、退色しつつあります。なんとも、怖い怖い表示板に見えました。
図解入りの「砂防指定地 宮花川」の表示板。これで四つ目の表示板。現在地がかろうじてわかります。ははあ、この川は右から左に流れ、国道31号線に向かっているんだという絵ときができました。
戸数が少ないせいもあってか、人と会うことがありませんでした。このあたりで物を落としたら、川底が深いので拾うことができないと思いました。
上流でみかけた五つ目の「急傾斜地崩壊危険区域 宮花10地区」の表示板。絵図が記されているようですけど、風化して、よく分かりませんでした。ともあれ、土砂災害だの山腹崩壊だの、危険渓流だの、急傾斜地崩壊だのと、まあ、これでもかというくらい怖がらせていただきながらのスリル感ある散歩になりました。この宮花川は、JR呉線の下をかいくぐって、やがては吉浦湾に注ぎ込んでいきます。
国道に近い宮花川のそばには、慈光院があり、水子地蔵尊のご尊顔を路地から仰ぎみることができます。「取りこし苦労も過ぎこし苦労もせんでいい」とやさしく語りかけてるようで、安らぎを覚えます。
呉市吉浦の自治会回覧板に添付して、「呉市津波ハザードマップ」が配布されました。南海トラフ巨大地震が発生することを想定した津波への警戒が、簡潔明瞭に理解できました。つまり、地震による津波襲来では、より遠くへではなく、より高い所へ避難することが大切なことを、ハザードマップ手にして、しみじみと感じました。
わが街吉浦の場合、吉浦中町の吉浦小学校の体育館と教室、また吉浦東本町の吉浦まちづくりセンターの3階以上が、「指定避難所」であり、津波災害の避難所として使用できることが分かります。そして、吉浦西城町の吉浦運動場は「広域避難場所」であり、津波災害時には一時的に避難する場所であることが分かりました。狩留賀町の吉浦中学校グラウンドと、吉浦小学校のグラウンドは「一時避難場所」だということなんですね。ま、家族とよ~くよく確認しておかなくてはと感じました。