吉浦ブログ
瀬戸内海に面した呉市吉浦。弥生石器が出土したこの街・吉浦を歩いてみると、昔ながらの人なつっこい人情や情緒を感じます。「かくまでに 思はざりしに 来てみれば いと住みやすき よし浦の里」。この歌は、吉浦八幡神社の山の手の歌碑公園に建立されています。紫式部の父である筑紫守・藤原為時が詠んだ和歌です。いにしえの歌そのままに、今も通じる住みやすき吉浦を、画像で捉えてみました。
吉浦には、浄土真宗のお寺さんがあちこちにあります。その一つが、吉浦中町の大心寺。通りから拝見すると、正門の上には、な、なんと、いきなり白とブルーのツートンカラーの鉄パイプ橋がしつらえてありました。普通、お寺さんといえば、荘厳な雰囲気を醸していますが、このお寺さんは、庶民側に立ったユニークな子供の楽園だと感じました。(呉市吉浦中町で)
ちょっと覗いてみると、親鸞和尚さまの銅像に迎えられます。その奥のほうには、すべり台がみえます。幼な子を対象にした遊具。ははあ、正門の左手のほうから幼な子がパイプ橋を通って、このすべり台に至るのだということが分かりました。このお寺の向こう側に、大心保育園があるから、園児たちが、本堂でおまいりをして、ここで遊ぶこともあるのかなと思いました。
笠岩山大心寺と記された掲示板には、「人生の苦はすべて如来の励ましである」という書が貼ってありました。うーん、含蓄ある言葉と感動しました。お寺さんの掲示板は、随時、人生を導くかしこくも尊い言葉が貼り出されるんですね。
呉市吉浦地区では、5月に町民体育祭を、吉浦運動場で行います。令和2年の今年は、残念ながら、新型コロナウイルスの感染拡大の防止対策のために中止になりましたが、町民体育祭は、大人も子どもも、日の光を浴びながら力を出し切り、心の絆を深める一大イベントです。青空のもと、声援をあびながらの楽しい玉入れ。
「よーい、ドン」。走る子どもたちの一生懸命には、見守る大人のほうも元気がもらえます。
走る走る。早い早い・・・調子を合わせて、ゴールめざす二人三脚。
「よいしょ、ヨイショ」「がんばれ、ソーレ」綱引きこそ、力比べの最たるもの。
誰もが感じる「運動は健康の素」。まさにそうなのです。
運動場をびっしり囲む各自治会のテント。応援や食事、選手の休憩、活気にあふれます。開会式と閉会式は、テントからぞろぞろと集まります。
吉浦のカニ祭りは、趣向をこらした色んなおみこしの出現も圧巻ながら、魚見会・一区のバクロウの出現にも度肝を抜かれます。かなりの丈のある3体の張り子人形・・・声を張り上げ、青竹ふりまわして闊歩するバクロウという巨人。参詣客に危害を加えることはありませんが、ともかく目も眉もつりあがる赤い顔のバクロウには、鬼気迫る迫力があります。(呉市吉浦西城町で)
おっとりとしているようで、何か思わせぶりな黄色の顔したおちょぼ口のバクロウ
タバコをくわえた上目づかいのバクロウも、カニ祭りには必ず出てきます。
吉浦八幡神社の二の石鳥居に佇むバクロウ三体。怖いというよりか、どことなく愛嬌があると思いませんか。
吉浦八幡神社の境内で、稚児があでやかな花笠踊りを舞う姿は、もう可愛くて、愛らしくて・・・獅子2体もかたわらで花笠踊りを見守ります。「ちょうさい」みこしの左には、吉浦潭鼓町(魚見会・一区)にとって由緒のある荒神社の祠がみえます。
古きを訪ね新しきを知る温故知新という言葉があるように、ルーツをたどり今昔を較べるのは楽しいことです。
吉浦中学校PTA写真集「吉浦の歩み」(平成9年4月21日)発行に掲載されている「吉浦村絵図」を見ていると、興味が尽きません。この絵図は、天保10(1839)年以降、同13年までの絵図と推定されるそうな。北に「焼山境」、東に「庄村境」、西に「か連い崎」、南に「魚見山」とあり、絵図をクルクル回してみました。城山(茶臼山)の周辺には、光寂寺など三つのお寺があったことがわかりました。
吉浦中学校創立50周年記念に刊行された写真集「吉浦の歩み」の表紙。①風景と街並み、②世相の推移、③経済の発達、④交通、⑤教育と文化、⑥社会、⑦趣味・娯楽・遊び、⑧夏の思い出・狩留賀、⑨吉浦中今昔物語、⑩沿革、⑪年表、とわかりやすく吉浦を紹介しています。
あの絵図の天保10年から181年を経たいま、吉浦の高台から南の瀬戸内海側を眺めてみました。「吉浦の歩み」の<沿革>の項に、「吉浦町においては、弥生式土器の破片や昭和5(1930)年と翌6年、磨製石斧1個ずつが発見されている」と解説されています。ならば吉浦には2000年前から人が住んでいた・・・、と壮大なロマンを思わずにはおれません。
手紙をポストに投函するとき、吉浦の街なかを貫くこの地点に佇むことが、よくあります。ここからの眺めは、じっくりと見通せるので、心をとらえます。
うしろに茶臼山があり、はるか前方に紺碧の瀬戸の海があり、よくよくみると、米粒ほどの小島が見えます。無人島の小麗女島です。さらにその向こうに浮かぶのは、東能美島と江田島。山の手から吉浦本町のアーケード街に向かって、一直線の県道278号焼山吉浦線が貫いているこの光景は、 まるでスキーの助走路・シャンツェのようでもあり、超ロングすべり台のようにも感じます。
ここから真正面のJR呉線の吉浦駅ロ-タリーまで、約700m。晴れた初夏の一日、しばし目をこらして、一直線の吉浦路に見とれました。(吉浦中町で)
編み笠をかぶって、少し首をかしげ、右手に徳利をもった巨大な愛らしい信楽焼きのたぬき像に出会ったのは、吉浦岩神町の細道を散歩していた時のことです。たぬきとは、「他を抜く」という洒落があるように、家運繁盛に通じるなあんて思いながら、路地に佇み、しばしご対面させていただきました。
♪たん たん たぬきの○○○○は 風もないのに ぶーらぶら それを見ていた 親だぬき おなかをかかえて わっはっは♪
人の丈より高く大きいたぬき像にご対面して、子どもの頃、意味もわからず口ずさんだ「たんたんたぬきの」歌を、ふと思い出し、思わず「プッ」と吹きだすような思いにかられました(吉浦岩神町で)
初夏の青空のように、青色の帽子をかぶり、気怠い暑さもいとわず吉浦運動場でソフトボールの練習に少年たちは励みます。吉浦小学校の児童を基点にした吉浦スターズのことです。緑に囲まれた吉浦運動場で、リーダーのノックを一球も逃すまいと、機敏な動きでボールを追う姿が気持ちいい。(吉浦西城町)
打つ、捕る、投げる、走る。広島東洋カープのように、チーム一丸となって練習し、対外試合もしています。運動場はナイター照明が完備しているので、吉浦スターズは、夜間も使用しています。
吉浦スターズは、平成11年6月1日に設立した伝統ある少年ソフトボールチーム。呉地区少年ソフトボール連盟にも加盟しているそうな。
入り口で見た車止めのパイプ柵には、「吉浦運動場」と記されています。吉浦スタ―ズは、この運動場を、「吉浦グラウンド」と呼称し、ホームグラウンドとして親しんでいます。
吉浦運動場の入り口には、明治100年の節目に記念植樹した吉浦婦人会の石碑がありました。
魚見山のふもとが源流の東川には、砂防の指定地であり、土石流危険渓流であることを記した表示板が立っている。表示板のあるところから、高層マンションなど吉浦の街の一部が見え、瀬戸内海や江田島の連山が霞んで見えるくらいだから、東川の源流近くは標高の高いことがわかる(吉浦東町で)
川の名前を記したもう一つの東川の表示板。
かなり風化した上流の表示板には、「急傾斜地崩壊危険区域 吉浦東210地区」と判読できた。
東川の99%は暗渠で、道路の下を流れている。だから、東川は一体どこを流れているのか川探訪するのもおもしろい。街なかの下流あたりでは、ところどころに鉄柵の蓋がしてある。
JR呉線をはさんで、海側には、遊水を調節するポンプが設置されている。ポンプには、「吉浦遊水池ポンプ所」と記されている。海水の満潮や干潮で、この遊水池は水量が変わる。向こうに見える山は、魚見山。
おおきな御影石に、「浄土真宗本願寺派 永受山 勝法寺」と刻んであるお寺さんが、呉市吉浦の国道31号線沿いにあります。心のよりどころだけでなく、災害時の避難所にもなっており、まさに町民の駆け込み寺といえます。後ろを振り向けば、31号線を挟んで対峙している吉浦キリスト教会があるんですね。この31号線沿いには、ほかにも薬師寺派の慈光院や金光教吉浦教会があります。コインランドリーが、道をへだてた勝法寺の向い側にあるので、利用しによく行きますが、その折、勝法寺の本堂まえに佇み、手を合わせ、ごあいさつすることがあります(吉浦東本町で)
境内の名物になっているのが、夏に咲く白い百日紅(さるすべり)。その時期になると、無垢の白花が、参詣する人に安らぎを与えます。壁の向こうは、国道31号線。トラックだのバスだの乗用車、パトカー、救急車、消防車、バイク、自転車、通行人などが、行き来します。勝法寺の境内に佇み、百日紅に見とれていると、ギスギスした俗界と清浄な仏界の違いがわかるような感じがします。
勝法寺の外の白壁に、海抜は2.6mと表示してあります。そして、このお寺は、土砂災害と洪水の指定避難所であることがわかります。地震、津波、高潮の避難所としては指定されていないということですね。表示板を見て覚えたようでも、目をはずせば、どういう時の避難指定所なのか、もう忘れてしまいます。日本語、英語、中国語、韓国語、ポルトガル語で記されていました。
勝法寺の白壁に、半鐘が吊ってありました。合図や知らせるために使うのでしょうか。
吉浦の西側を流れる宮川の路地を歩いていると、蒼い空に気持ちのよい鯉のぼりが泳いでいました。吹き流しに続いて、金太郎が乗っかっている黒い色の強そうなお父さん鯉、それに添うようにやさしい赤いお母さん鯉、そして成長しつつある子どもの青い鯉、さらに一番下には、緑色した幼い子どもの鯉・・・。眺めているだけで、元気をもらえました(吉浦西城町で)。
吉浦の家並みがみえる山の手に上がってみました。あの鯉のぼりが、元気よく、気持ちよく泳いでいました。5月5日の「こどもの日」、鯉のぼりを掲げ、子どもの平安と成長を願う思いが伝わってきました。
国の総人口(2025年2月時点で)1億2,354万人のうち、15歳未満の子供の人口推計は、1,401万人だそうな。次代を担う子供は、国の宝。そんなことを思いながら、「屋根より高い鯉のぼぅりぃ、大きい真鯉はお父さん、小さい緋鯉は子供たぁちぃ、面白そうに泳いでぇるぅ」と、鯉のぼりをながめながら、歌いました。
かつての時代には、軍需物資とか軍需工場とか、軍需産業っていう言葉や単語が、よく使われました。いまもその名称が、JR呉線の吉浦駅近くの踏切に残っています。「旧軍儒部踏切」。国道31号線からこの踏切を渡って行くと、海上自衛隊呉造修補給所貯油所があります。旧軍需部のゆえんです。
よくよくこの踏切の名称をみると、軍需の「需」の字が、「儒」になっています。こんな単語というか熟語は、世の中にはありません。どうしてこんなになったのか。珍名物踏切と思いました。
「非常の際は上のボタンをもどらなくなるまでつよく押して下さい」と踏切のそばに非常用ボタンが設置されています。その説明板には、「旧軍需部踏切」と記してありました。「儒」でなく、「需」でした。この使い方が正しい。
線路脇の大きな柱には、縦書きで、「旧軍需部踏切」と正しく書いてありました。
呉市と広島市を結ぶ国道31号線に、ドライブインのあるのが、呉市吉浦町池田です。天ぷら定食、ラーメン、うどんを扱う店があり、無料トイレ、自動販売機もととのっています。このドライブインから、夕方は、眼前の江田島に夕日が沈む景色を見ることができます。「夕焼け小焼けで日が暮れて・・・」と、口ずさみたくなるムードがただよいます。夕日に、キラキラと瀬戸内海がひかり、カキいかだの浮かぶ夕日の名スポット。ロマンチックな風情を堪能しました。
吉浦八幡神社の10月の例大祭はかつてこの時期に渡り蟹が多く捕れたことで、吉浦カニ祭りと呼ばれるようになりました。カニ祭りには、さまざまなおみこしや笛太鼓などが繰り出ますが、鬼も出没します。カニ祭り3日目には、鬼廻りといって、小学校や保育園などにもいろいろな鬼が現れます。(吉浦東本町の第二公園で)
カニ祭りに出没する鬼は、夜中でも、昼間でもわけへだてなく出てきます。吉浦本町商店街のアーケードの下では、「よっこらしょ」と、鬼の面々が腰をかがめて休みました。(吉浦本町で)
鬼一同が最終的に集まるのは、夜の吉浦八幡神社。大人でも、オドロシイ感じがします。(吉浦西城町で)
神社境内にたむろする赤鬼、青鬼、白鬼・・。カニ祭りでは、各自治会が繰り出す趣向をこらしたおみこしや笛太鼓列を先導します。露祓いの意味があるんですね。時には、路上で幼児を突然抱っこすることもあります(吉浦西城町)
一本足の高下駄を履き木の葉がついた杖をもつ鼻高天狗と、黒棒をもち二本のつののある赤鬼が、「悪い人は追い出すぞ」とばかりに、あたりを警戒しているように見えました(吉浦八幡境内の二の鳥居近くで)
吉浦の魚見山のふもと吉浦潭鼓町(たんこちょう)に、荒神社跡地の石碑が建立されています。現在では、荒神社は吉浦八幡神社の境内に移転遷座されています。
潭鼓町にゆかり深い荒神社の跡地は、もう人の訪れることもなく、歴史を秘めたまま、ひっそりと石碑だけが建っています。かつては細い急坂を歩いて、ここに善男善女が参詣したことでしょうが、もう今は昔。あたりは、人家もありますが、石碑のすぐ後ろは、畑地になっていました。
吉浦東本町の路地を歩いていると、白壁の屋根に沿って、みごとな紫の花が垂れ下がっていました。空の青と藤の紫のとり合わせに、何か得をしたような気持ちになり、しばし足をとめて見入りました。藤の花といえば、江戸時代の作陶家・野々村仁清の「藤花文茶壺」(MOA美術館蔵・国宝)を思い起こしました。
吉浦の街なかは、くもの巣のように、細い路地がいっぱいあります。そういう路地巡りの散歩は、気分を爽快にしてくれます。藤の花が咲く頃は、紫の花房をみあげながら、ゆっくりこの細道を通りぬけるのが楽しみにです。向こうの山は、魚見山連山の一部。
山頂にたつ標高127mと記された道しるべ。
呉市の吉浦八景ホームページには、魚見山が紹介されています。それによれば、<昔,山頂から,魚群の到来を監視し,漁をする仲間に伝えたといわれている山,物見山とも言う。標高178m。頂上付近の八畳岩の西端の下に、「満ち潮」の時には海水が湧き出ると言い伝えられる「潮見の穴」という岩がある>と書かれています。
魚見山からみた吉浦の街並み。右側の街なかに吉浦小学校の体育館がみえます。左側の海は吉浦湾。この魚見山の下には、二つのトンネルが通っています。ひとつは、JR呉線。もうひとつは国道31号線。魚見山は何度登っても、景観がすばらしいから、また登りたくなる山です。
吉浦八幡神社の境内からみた魚見山の全景。
吉浦は、魚見山、鉢巻山、茶臼山、つばくろ山、火山(ひやま)の五つの山に囲まれています。
吉浦五山の中で、魚見山は、吉浦小学校の校歌「魚見の山の朝明けに 登る朝日の陽を浴びて 強く正しく朗らかに 真理求めん学び舎に」で歌われています。右の白い建物は小学校の体育館。体育館には、舞台横に吉浦小学校校歌が掲額されています。
近所の懇意な人から、井戸水で鯉を飼っているというので、見せてもらいました。いるいる。広い池に、カラフルな色の鯉や、単色の鯉…。緋鯉、錦鯉などが同居していました。休むことなく井戸水を池に注いでいるということですから、相当の水量でしょう。湧き水という井戸だからこそ経済的に飼えるのでしょうね。水道代に換算したら、さぞや大変な額と思ったことでした。ともあれ、の~んびり、ゆうゆうとして動く鯉は、見飽きることがありません。おだやかな動きと姿は、最高の癒しになると感じました(吉浦本町で)。
井戸は工夫がこらしてあり、地面と同じようにフラットにしてありました。これは通りやすい。邪魔にならない。生活の知恵を、井戸に有効にいかしていると大いに感心しながら、フラットな井戸を通り抜けました。
井戸は家に一つなのがフツーですよね。ところが、コイのいるここのお屋敷では、フラットな井戸のほかに、どっしりとした石囲いの井戸もありました。聞けば、ず、ずーっと昔には、もう一つ、つまり全部で3つも井戸があったそうな。
吉浦の井戸を巡る散歩は、楽しさ面白さを覚えます。
吉浦新出町を歩いていたら、川の流れに沿って二つの表示板がありました。近づいて見ると、「崩壊危険区域」と、「笠岩川」の表示板でした。たしかこの川は神賀川の筈だが・・。
世の中に、一本の川であっても、複数の名前をもつ川ありますよね。たとえば信濃川と千曲川。紀の川と吉野川しかり。だから、吉浦の街を流れる神賀川も、このあたりでは笠岩川と呼ぶのかなと思ったことでした。ところが違うのです。画像は神賀川です。写真では見づらいけれど、中央上の、茶色の鉄の橋のところに、笠岩川のあることが分かりました。ということは、神賀川に複数の名前はないということです。散歩していると、こういう面白いことに出くわすのが楽しい。
吉浦新出町12地区の地形図。青色が河川水路で、Yの字になっており、二つの川が合流していることが分かります。
この表示板は、笠岩川が土石流危険渓流であることを示しています。
中央の川が笠岩川。右上から左下へ斜めに流れるのが神賀川。川底の石畳みの模様を見入るのも楽しい。笠岩川が神賀川に合流する流域の吉浦新出町で。
笠岩川のそばに建っている「砂防指定地 笠岩川」の表示板。真ん中に浮き立つように描かれている白色がこの表示板の位置で、青色が渓流で、その渓流の中に横になった黒いT字のようなしるしが砂防ダムで、と絵ときができました。現地に佇んでみて、初めて納得できる案内図なんですね。
この笠岩川の名前は、だれが付けたのか、いつごろ命名したのか。笠岩川のことを調べてみようと思います。興味深いことを調べるには、呉市立図書館か、市役所に足を運ぶのが、調査の早道かな・・
笠岩川の上流
吉浦新町二丁目に、「池の浦」バス停があります。このバス停こそ、映画「海猿」で、仙崎大輔と伊沢環奈が雨宿りするシーンにでてくるところです。
なんの変哲もないバス停ですが、映画に出てきたバス停なら、ちょっと寄って、座ってみようという気になります。
「池の浦」バス停に並行して、JR呉線があります。この吉浦住宅踏切で、消防車が放水して雨のシーンを演出したということです。
気持ちのよく晴れ渡った青空に、青色、赤色、黄色、桃色、緑色のユニークな手作り鯉のぼりが、ふうわりフワリと泳いでいます。青葉若葉のこの時期には、通りに面したこの大心保育園の広場で、鯉のぼりを楽しめます。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、保育園は休園になっていますが、コイのぼりは、天空に向かって泳いでおり、道行く人の心をなごめていました。(吉浦中町で)
道路はさんで右側の黄色の建物が、大心保育園。保育園の向い側に、コイのぼりが泳いでいました。
洪水、高潮、津波などによる一時指定避難所があるのを知ってますか?吉浦では5カ所にその施設があります。吉浦まちづくりセンター、勝法寺、誓光寺、吉浦小学校、そしてここ吉浦集会所。標識をしっかり認識することが大切です。吉浦集会所では、指定避難所といっても、地震と津波では避難できません。土砂、高潮、洪水の時に受け入れてもらえる、ということです。標識には、指定避難所ということが、日本語、英語、中国語、韓国語、ポルトガル語で表記してあります。
駐車場が完備している県道278号線沿いにある二階建ての吉浦集会所。
海抜は17.3mなんですね。風水害時緊急避難所という赤い標識が、玄関横に貼ってあります。
集会所の広場には、藤棚があります。咲く季節になると、薄紫の藤の花が垂れ下がり、心がなごみます。
吉浦郵便局に切手を求めに出かけました。普段は赤い郵便ポストがあっても、目にとまることはありません。ところが、オヤッと一目をひきました。ポストに真鯉と緋鯉の鯉のぼりのシールステッカーが二組はりつけてあるからです。白っぽい雲までつけてありました。子供の健やかな成長への願いが伝わってきました。そして、右下のには、端午の節句に食べる柏餅のステッカーがふたつ。「五月五日はこどもの日」と赤い文字ありました。郵便局の乙な心になごみました。
町内には、赤いポストがあちこちに設置されていますが、鯉のぼりのあるポストは、吉浦郵便局前のポストだけ。見ていると、楽しくなってきますよね。
お父さん、おかあさん、こどものミニミニ鯉のぼりっていうのでしょうか。それぞれに背びれがついているだけでなく、竿には矢車があるだけでなく、青空と白い雲まであしらっているこまかい配慮。感心しました。(吉浦中町で)
呉の港からフェリー連絡船に乗って、江田島の小用に向かいました。船上から人口約9,
000人(2025年3月末現在)の吉浦の街を眺めることができました。屏風のような山並み。海岸ちかくの高層マンション。民家もびっしり。クレアラインの高架道路も目にはいるパノラマ。
吉浦の外から眺めた吉浦は、里山があり、里地があり、里川が流れ、里海のあるロマンな街だとあらためて感じました。
園児らがつくった楽しい鯉のぼり。ウロコをよくよくみると、園児らが描いた子鯉なんですね。なんともユーモアにみちた鯉のぼりだこと。
グルグルと丸い色のついたウロコは、目を表わしているのでしょうか。いろんなことを想像させてくれますよね。
園庭にピンと張ったロープに、園児らの合作の鯉のぼりがのんびりと天空に舞うさまが楽しいですね。
今年は、新型コロナウイルスの感染防止のため、休園のやむなきにいたっています。例年は、5月5日子どもの日に相前後して、幼稚園のベランダに鯉のぼりがはりつき、園児のすこやかな成長を寿ぎます。
近づいて、把手を持ち上げてみると、やっぱりきれいな水が、たっぷりとたまっていました。これは井戸というより、大きな泉といったほうがよいくらいの囲い水が見えました。
石段を上がって、高い路地から下を覗き込んでみました。位置を変えることで、大泉の水がよく見えました。 吉浦の街は、畑や庭や路地の脇などで、ポンプのある井戸や、コンクリートの筒状の井戸や、このトタン下の大泉のような湧き水の光景を、よく見かけます。水道が完備している街ですが、大泉を見ていると、水の節約、天然水の活用、省エネなんてことが頭に浮かびました。